Skip to main content.

2014年 04月 04日 金曜日

地域力でできた、地域の人々の大切な宝として、これから育てて頂きたい ─ そう願う児童館は、「子供を預かって頂いている」という感謝の思いと、「子供を預けて頂いている」という、関わる人々の謙虚な思いの中… 神戸市東灘区御影に落成し、去る3月29日 土曜日10時から、竣工式が行われた。

その総工費、約1億5000万円。通常7〜8000万円で築造される児童館の倍という、記録的な建設費である。これも、置塩寿さんの遺産の16億円の寄付によるもの。置塩こども基金を使っての建設だった。

寿さんは、同じ神戸市東灘区御影2丁目、会館のすぐそばに住んで、教職員をしておられた。一人暮らしで、地域の人々が老後の色々なお世話をされていた。普段から時々声を掛け、新聞がたまっていた時には家の中で倒れていたのを発見して、病院に運ぶなど、まさに、地域力が発揮されていたのだった。

その間、区長や市関係者は誰一人、お見舞いに行くでなし、声を掛けてもいない。ひたすら、大きな敷地の固定資産税を払い続けてこられた上に、さすがは教師、「子供達の為に」と、遺書にあった。そこで、地元はせめて16億円のうち1億円位は地元に下さいと、自治会長と役員に加え、私と中村副市長も一緒に陳情したが、けんもほろろ。

忘れもしない似たようなケースで、笹部桜の笹部桜博士の件がある。西宮市の南野助役が時々声を掛けていたので、土地や貴重な文献はすべて、西宮市に寄付された。当時の市長だった宮崎辰雄前市長は、東灘区長を激しく叱責した。もし、置塩さんが県に寄付していたら、この児童館はできていなかった。地域力が神戸市に寄付をさせたのだ。加えて私は、同じ地元の当時の市長だった矢田達郎元市長が温かい方で、地元に配慮して下さった、とも思っている。

だが、その原動力は、永年施設の必要性を訴えかけた高田寛子さんと松尾晴美さんのお二人だ。地域で民生委員をはじめ、子供達と福祉の為に。黙々と奉仕し続けてこられた、いぶし銀のような方達である。このお二人の訴えが、実に正確だった。81人もの児童が、すぐに利用を申し込んだのである。いかに枯渇していたか、良く分かる。このお二人を中心に、地元の御影北ふれあいのまちづくり協議会が管理運営して下さる事になった。

写真
竣工式には、地元の自治会長や関係者がご参加下さったが、その中に、矢田達郎元市長の姿があった。地元は、彼を呼んだのだ。粋な計らいである。テープカットに立った彼は、自分で地元代表とことわった。なんと、謙虚な人か。彼は、天下りもせず、子供達の為に余生を捧げると語ったその通り、今は活きいきと地域活動に勤しんでおられる。政令市の元市長で、後にこんな生き方をする人は滅多にいないと、拍手した。

写真
私は、挨拶の中では元市長こそ褒めなかったが、色々と問題があったのを良く知っているので、ここまで頑張ってくれた子供家庭局の中山課長や、東灘区役所の梅林課長に、心からのお礼を申し上げた。そして、「これから年間わずか約1千500万円の運営費でやって行くことになる。民主主義はお金と時間が掛かるが、この施設が輝くのは、『地元が愛し合って信頼し、少しの事で怒らず、笑顔で許し合える』環境が続いてこそである。それを誓う、神戸一の児童館にしよう」と、願いをこめてよびかけたのだった。
写真