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2009年 05月 22日 金曜日

本日も多忙…
午前9時に、事務所に入って、市役所と連絡するが、新型インフルエンザ対策委員会で主たる幹部は会議、その結果によって新しい方針が出る。多分、25日から学校再開となるだろう。
その政策決定に議員が傍聴出来ないのが残念である。口を挟まなくても、政策決定のプロセスが知りたいものだ。まあ、どんな決定がなされるかじりじりと事務所で待っていた。(午前10時30分) この間にも、色々連絡が入る。
何もかもが中止だ。知事の県政報告会(5月23日)、東灘文化協会(5月23日)、自衛隊阪神基地隊57周年記念式典(5月23日)……………
それでよし、その中の一本の電話で、東灘区に地引網ができる浜を取り戻したいとの事で、東灘区の人々が須磨海岸で、6月21日開催を中止する相談があり、それには絶対反対した。

私は25日以後はできるだけ通常の機能に回復させるべきと考えている。
又、一本の電話があった。東灘区のある薬剤師さんから、「こんな時、与野党問わず、頑張らねばならないのに…………私はどうしても震災を引きずります。」との事。同感である、安井も震災を引きずっている。

あの時、市長は神戸で陣頭指揮を執っていた。議員の中で、最長老の故吉本泰男議員(社会党)が呼び掛けて、平野昌司議員(現自由民主党団長)、荻阪伸秀議員(現民主党相談役)、安井俊彦(現自由民主党相談役)らが主に東京に張り付いて官僚との戦いをやった。よくやって下さったのは、当時の参議院議長の土井たか子議員(社会党)であった。当時、亀井静香運輸大臣は、「神戸は港でもっている、港を潰すな」と声は大きかったが、部下の官僚は…………
当時、橋本龍太郎(故人)通産大臣に対し、私達は、「仮設の人々に弁当やパンや水を配らず、現金か金券を配れば、近隣の商店が立ち上がる」と直訴したが、ダメだった。こんな事を書くとキリが無い。色々思い出していた。

とにかく、今は与野党一致して神戸市民を守り、神戸の経済的打撃を防がねばならない。まだ、会議の結論が知らされてない。(午前10時45分)
一体何を議論しているのか。

昨夜の22時からでも、やるべきではないのか。こんな事を言うから役人に嫌われる………

今知らせが入って、今日の総務財政委員会で報告されるだろうから、傍聴に行った。(午前11時)
やはり、市長からのメッセージが出た。25日から神戸市内の13万人の子供に対し、市立の幼稚園、小学校、中学校、高校、特殊学校が再開となった。さらに委員会では、今後、国からの指示で国内でまん延する事は考えられるので、手を抜かないで欲しいとの指示がある事を明らかとなった。

こんな事は、朝の舛添大臣の記者会見で明らかになっている。今更分かっているのに、又、教育長から神戸の13万人の子供達は頑張っているとの発言は同意する。
又、委員会の中で医師会がよく団結してくれた、市民は一体となった、との意見もあった。

でも、まだまだ終わりではない。これからが大切なのに………

なお、新型インフルエンザについて記した“市政報告 東灘区 緊急版”当webサイトでも掲載しているので、是非御覧いただきたい。