Skip to main content.

2010年 02月 03日 水曜日

一昨日の夜、後援会長高嶋氏の御従兄弟様、伊丹威氏がご逝去されたとの訃報が、高嶋会長ご自身からファクスで届き、ガックリ力が抜けた。お通夜にはせ参じ、ご遺体と対面。安らかなお顔で… いつものように「オ〜、安井君、しっかりやっているか〜」と優しく声をかけて下さる伊丹威氏が、そのままに横になられていた。思わず「御苦労様でした」そして「ありがとうございました」と声を掛けていた。


▲告別式で
昨日の葬儀告別式では、親族を代表し高嶋良平会長がご挨拶された。よく分かる表現のその挨拶で、会長は、「幼い頃から家族同様に育った」ことや、「関西学院大学を卒業後、入社時の検査で腎臓が悪い事が分かり、甲南漬に入社された」こと、「以来腎臓病との戦いを続けた彼は、病気で苦しんでいる他の人々を助けるために、献身的な努力をした」こと、「会社運営の原動力になって下さった」こと、「JC活動に参加して、神戸空港建設に頑張って下さった」こと、そして、「平成19年1月に腎臓の移植手術を受け成功したが、心臓病を発症し死につながった」ことを、情のこもった温かい言葉で述べられ、最後に、「彼の人生の三分の一は透析との戦いであったが、皆様に支えられて頑張ることができた」と語られた。

その高嶋良平会長の御尊父様、高嶋平介氏の偉さ、そして高嶋良平会長の心の広さに、私は感心させられた。なかなかできないことで、難しい事だが、良くぞやられた。「さすがは、名門」と感じたのだ。伊丹氏は伯父上と従兄弟の間で、その豊かな人間性を伸ばされた。そのことが、自分の難病を素直に受け止め、同じ難病に苦しむ人々のためにその身を捧げる生き方につながったのだと思う。

私は、毎年開かれる難病連の会に欠かさず出席している。ほとんどの方が望まずして難病に罹患されており、大変苦労しておられる。

実は、私の実母もパーキンソン病という難病にかかり、世話をしてくれた実妹には16年間もの間、看護で大変な苦労をかけた。そんな時、難病連の方々の励ましを頂き、難病連の大切さを知った。伊丹氏はいつも穏やかで、心が広く、仲間をまとめあげて最も信頼されていた。伊丹氏が罹患されたのと同じ腎臓で人工透析をしている方々は、市内に約2000人。県内では6500人にものぼる。国・県・市も同じ人間としてできるだけのことをすべきだと思ってはいるが、決して良い方向に向かってはいない。

帰路、一緒になったKさんが「今日の高嶋会長の挨拶良かったね」と、ポツリと仰った。私は「良かったどころか、完成されてますよ。力まず、淡々と語る中に、彼への惜別の思いが伝わってきた」と答えた。私は、伊丹威氏が好きだった…。合掌。