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2010年 02月 04日 木曜日

節分の日は、とある宗教団体の節分祭にお邪魔。多くの人々が集い、楽しい雰囲気の中、甲南大学の先輩でもある生田神社の加藤隆久宮司が興味深いお話しをされ、… 素晴らしい節分の経験になった。


▲見事な語り口の加藤宮司
加藤宮司は冒頭
「まず、一年に節分は4回あるが、冬から春のこの節分が最も有名になった。それは、暗く辛かった冬をくぐり抜け、春にやっとなる。その隙間に悪いことが入り込んで、春にまで引き込まないための行事として始まったのだろう。」
と起こりを説かれた後、
「悪いことを鬼として、穀物の中でも最も大切な豆を投げ与えて、追い出す。鰯のにおいが嫌いなので、鰯を食べる。針のある茎が嫌いなので、柊を飾る。ではなぜ、悪いことが鬼になったのかは、古い時代は「おん」という言葉があって、見えない所に隠れて悪さをすることを言ったらしい。冬の時代にはびこった、この「おん」を春につながないための行事であったが、その「おん」が鬼に引っ掛けられたのではないか」
と。私は、思わず「なるほど」と膝を打った。さらにお話しは続き、
「神戸は、806年に生田の神を守る家が44戸あったところから、神戸(かんべ)と名付けられた。歴史は飛んで、慶応3年に外国人居留地が生田川の氾濫で水に浸かり、被害を被った外国人の抗議をうけて、土木工事をした。その工事人が加納と言う人だったので、加納町が生まれた。かつての生田川は、現在のフラワーロードを流れていた」
と、神戸の歴史を紐解かれた。また
「今年は寅の年であるが、寅は干支の中では、継続、継承、更新を表している。つまり今年は、いろいろなことを反省しながら、怠けず、いいことを続ける年である」
とも。

さらにお話は続いてインドのマザー・テレサに移り、カルカッタにいる路上生活者、つまり路上で生まれ、路上で生きて、路上で死んでいく人々が、200万人当時はいたという。その人々のために「死を待つ人の家」を造って、路上生活者の身体を洗い、宗教を教えて人間としての尊厳を持って、死を迎えさせたという。今年はそのマザー・テレサの誕生100周年だそうで、
「マザー・テレサは生きている」というテーマで、松方ホールで写真展が行われるらしい。マザーテレサは、「人を愛することは、神を愛すること。神を愛することは、仲間を愛すること」
と語られていたそうだ。最後は
「一番大切なことは、今日の節分で、自分の心の中で人の心を傷つけるような、鬼を取り払って、清々しい心になる日です」
と締めくくられた。

加藤宮司は神官でありながら、仏教者の集いで、堂々とキリスト教に関連した話をされた。その根性も見上げたものだが、この宗教団体はすべての宗教を受け入れ、世界平和を求めるという開祖の精神を持っている、素晴らしい宗教。加藤宮司のお話しにも、万来の拍手であった。どなたも優しく、自分が得た豆を手に乗せて下さった。珍しく、心に残る節分の日の一時を過ごしたのだった。