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2010年 07月 17日 土曜日

今回の参議院選挙は、今年4月の神戸市長選挙で末松参議院のとった行動が理由で、あまり乗り気でなかったのだが、大好きな平野昌司議員から「そんなことにこだわる時か。今や自民党の生死に関わる時」と説得を受けて頑張り続けた。

かくて… 末松参議院には私の市政報告会でゲストとして講義してもらったのだが、実は、同じく講師をして下さった耳鼻咽喉科の岡野安雅先生と、みんなの党の井坂候補が当選するかどうかで寿司を賭けた。

写真
私は落選に賭け、岡野先生は当選に賭けた。結果、私が勝って、御影の上伊で私とA女史が頂いた。美味しかった。寿司はもちろん美味しかったが、岡野先生の話しはもっとおいしかった。

岡野先生は写真がご趣味で、今や”写真作家”としてかなり有名でおられる。先生の作品は私の事務所でもご覧いただける。皆さん結構楽しみにして下さっている。

恥ずかしながら初めて知ったのが、「”写真作家”は、一枚の写真から原稿用紙一枚ぐらいのストーリーを表現しなければならない」という定義。例えば、今掲示している鷺が魚をくちばしで捕っている横で、のんきに魚を釣る男性の写真。何かを感じさせられる ─ それが写真作家なのだそうだ。「美しい写真は、カレンダーで十分である。写真の命は光と影だ」。「なるほど」と思った。

やがて、話は昂じて、岡野先生の好きな”お酒”に。先生は灘の酒を飲むNPOを立ち上げておられていて、以前、神戸空港の寿司屋に灘の酒がないと、私を通じてクレームをつけられたことがあった。今日も、灘の酒を楽しんでおられる、灘五郷の神様のような人だ。

そんな先生に「生まれ変わっても、もう一度医者をしますか」と尋ねると、「もちろん」と力強く言い切られた。「私は、祖父から続いている医者の家系。32歳で海星の部長になってから、ずっとリーダーとして医療に携わり、アメリカでも手術を教えてきた」と、普段とは違った自信をお見せに。たしかに、診療所の待合室はいつも満員である。

名医であることに加えて、彼の優しさと謙虚さが患者さんに伝わり、安心できる。先生は「震災時は、患者さんの為に夜中の2時半まで薬の到着を待って、御影北小学校の避難されている方々に無料で届け、健康を守った。避難されている方々が風邪を引いたら、『岡野先生!!』と張り紙をした程だった」と笑う。「そして後日、『せめて薬代だけでも』と言って、保険証とお金を持っておいでた」とお話し下さった。

ながいお付き合いだが、これほど話したことはなく、うれしい一日だった。井坂候補ありがとう。これは決して、軽視したり、バカにしているのはない。わずかな期間に414,910もの得票を得たこと、また、その勇気。そして、礼儀正しく正義感の強いことに敬意を払い、再起を願っている。