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2010年 02月 01日 月曜日

阪神御影駅の南側駅前に駐輪場を造った当時、宮崎市長の叱責を恐れた当時の東部土木所長が「エイヤー」で駅前の一等地を出してしまったのは、駅前に駐輪場を造る政策が進められた際、この地だけが他の候補地が出てこなかったから。市バスの路線増とともに… 増大する赤字に困った当時の宮崎辰雄市長が、自転車通勤を勧め、バス路線縮小を図ったことに起因するのだが、以来36年間、阪神御影駅の南側はじっと我慢してきた。


▲地元を愛されるお一人、Mさん
今朝、事務所で仕事をしていると、「ふれ太鼓」と言う御影東町青年会の広報新聞を、ご近所のMさんがわざわざ事務所までお持ち下さった。その中に、「バレンタインチョコは御影から」と言う見出しの記事があり、思わず「へぇ〜」と唸った。

同記事には、御影のモロゾフ製菓が1932(昭和7)年に日本初のバレンタインチョコを発表し、これが広がって行ったとある。早速その真偽を確かめるべくモロゾフ製菓の役員さんにお聞きしたところ、確かな情報だった。

こんな情報が眠っていたとは。阪神御影駅南側の駐輪場の移転後をどうするかという問題で、以前に「嘉納治五郎広場」としたいと提案したが、もし「バレンタインチョコ広場」として広場開放できれば、この広場でデートしたら幸せになれる気がする。何といっても、バレンタインチョコの発祥の地だ。

この広場を、駐輪場の移転後有意義に使って欲しいと、まるで土地の神が発信しているかのごとく、私にはいろいろ伝わってくるのである。