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2021年 11月 05日 金曜日

これからが大切だと痛感した、総選挙が終わった。私が盛山候補をお手伝いしたのは… 実に、六回目だ。今回は小選挙区で敗れ、比例近畿ブロック最後の二議席にしがみついた。

投開票の10月31日、19時15分。吉田健吾市議から電話で、「20時に井坂候補の当確が出るとの情報があり、比例でも今回は難しいそうなので、市長選に行かず盛山事務所に来て欲しい」との事だった。選対本部長の加田参議院議員が留守なので、副本部長の私が敗戦処理をする立場であり、盛山事務所行きは当然なのだ。事務所に向かう車の中で、私は、男の死に方を考えていたりした。

先ず、21時に盛山候補が自ら敗戦の弁を述べ、続いて私が、「比例での復活に望みをつなぎたい」とのコメントを出した。

日が変わって深夜1時35分まで、事務所で、市議の守屋・平井・河南・吉田・植中・大野・岡村と、県議の奥谷・北浜・福島・川部・長瀬(以上敬称略)の他、多くの仲間、議員と支援者約40人が、五時間半も、寒い中で見守って下さった。

深夜零時頃には、久元神戸市長夫妻が加わって下さった。本当にありがたく、申し訳なかった。私は、時をやり過ごしながら、テレビの選挙報道を見守りつつ、いろいろと想った。結果的には、自民党が現有議席からの15減、立憲は14減。一方で、維新は三倍増という大躍進を遂げたのだった。

兵庫県内の各代議士も、維新に苦しめられている。私は、敬愛する藤尾盛山後援会々長、先輩の言葉を、何度も思い出していた。「いずれ我が身に返ってくるのに、なぜ維新の息のかかった知事を推すのか」と仰った事だ。もちろん、今回の件は維新の活躍が評価され、知事選とは別に大阪の勢いがあったとも言えるし、事実そうかもしれない。しかし、兵庫1区に関しては、私の感覚では少なからず影響があったと感じ、淋しい思いが募っていた。

藤尾先輩も植村後援会幹事長も、盛山候補は神戸に必要で、当選して欲しいと仰る。だが、お二人とも、今回の知事選での運びを見て「少し休憩したい」とも仰る。私は、維新の勢力が兵庫県に入るためのひとつの導火線になり、県民が容認しやすくなっていくのに警鐘を鳴らされたのだと思った。

そうは言ってもすでに済んだ事で、この議論の繰り返しに意味はない。今は、今後どのように維新に対応するか、である。私は、同志の方と論じ合った。長い政治の歴史の中で、「みんなの党」「新進党」「新生党」「新党さきがけ」「日本新党」等、多くの党が風のごとく、現れては消え去って行った。維新も同じとは言わないまでも、今から十年続くかどうかだと思っている。多くがそうであったように、内部抗争で自滅するのかもしれないし…。

今、我々は菅政権の余波を受けている。そのため、これからの十年は、あらゆる面で自民党の脇をしっかり固めて対峙せねばならない、我慢の十年になると思っている。維新は、自民党の政策と重なる部分もあり、メディア対応も上手である。しかし、我が方は、人材の面で、国も地方も自民党の層の厚さがある。巧みな官僚への指導力を活かしていけば、必ずや耐え得るのだと思っている。

いずれにしても、これから、だ。早くも、来年の参議院議員選挙を睨みながら、皆が心している。一息つく暇は、ないのである。
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