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2007年 08月 16日 木曜日

7月中旬の暑い日でした。私の友人の子供さん12才(重度障害児)が亡くなられました。争議は岡本の会場で多くの人々が集まっていました。主に養護学校の方と先生でした。

葬儀の最後にお母さんが…

マイクの前に静かに立たれ、一呼吸される間に会場はシーンと静まりました。

そしてお母さんは「私が重度障害児の母親になるなんて考えても見ませんでした。でも太平君の斜めから見る顔は凄くかっこよかったよ。太平君有難う。そして皆さん有難う御座いました。先生方も本当に有難う御座いました。いつまでも友達でいて下さい。」とたったこれだけのスピーチでした。

私は涙し、会場の多くの人々も流していました。こんな短いスピーチの中で全てを語り訴え、気持ちが伝わったのです。どんな雄弁な政治家よりも心が打たれたのです。私達は自分の子供が生まれる時は、自分の子供は五体満足で生まれて欲しいと願い、生まれた後は何も感じないのです。

しかし、何万人に一人は統計学上、不幸にして障害を持って生まれてくるのです。その子供には何の責任もなく、私達人類はそんな障害児さんを社会で守り、育てる事が人類としての義務であり、人類だからこそ出来る誇りでなければなりません。でも、現実は障害児の母親は私が死ぬ時にはこの子も道連れにしていきます、この世に任せておけないのです、と訴えます。現実にはそんな事はないのですが、この言葉は決して忘れてはならないと思っています。

私は障害児を持つ母親は強くたくましく、そして優しく物静かで美しい事を誰よりも知っています。それは、障害児から多くの事を学んでいるからなのです。

だから「太平君、ありがとう」なのです。