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2014年 01月 14日 火曜日

阪神タイガースの応援歌が流れる中、基地を離れて行った掃海艇、MSC676 くめじま。配属される母港が、阪神基地隊から広島県・呉に配属替えになるため… 阪神基地隊司令海将補 高島辰彦から「是非、見送り・激励に来て欲しい」と、丁寧なお便りを頂いた私は、神戸市会議員防衛懇話会の副会長として、また、地元議員として基地へ出向いた。

「くめじま」は、平成6年就役。平成12年、阪神基地隊に配属以来、常に国防の第一線で活躍してきた。阪神基地隊では14年間の長きにわたり、密入国者の侵入や海底の地雷除去などにあたってきた。

特筆すべきは、東北の大震災。「くめじま」は真っ先に被災地の海岸に到着し、津波で海に流された人々の捜索にあたった。1ヶ月間もの長期間頑張り続けたが、その苦労は辛酸をきわめた。隊員が海中に潜って、ご遺体を探すのである。ご遺体は決して綺麗な状態ではない。手足がちぎれていたり、魚につつかれていたり、腐敗したり。そんなご遺体を黙って丁寧にお洗いして、おさめる。それを、二十歳そこそこの若い隊員たちが頑張って担ってくれた。世間で、ボランティアの活躍が華々しく報道されている一方で、彼らは人知れず頑張ったのだった。

司令は「隊員の心のケアが気になる」と言っていた。忘れもしない、捜索を一時休憩して阪神基地に戻った同艦を出迎えたのは、雨の日だった。乗組員35人が並び、艇長が「私たちは、阪神淡路大震災でお世話になった。神戸を代表して、懸命に頑張って参りました」と、帰港の挨拶をした。私は、思わず泣けて、「本当にご苦労様、ありがとう」と叫んでしまった。その時、一緒に出迎えた小林さんもズー・フォニックス・アカデミー神戸校の矢野ディレクターも、みんな泣いていた。辛く、きつかったに違いない「くめじま」の全員も、泣いていた。

そんな、仲間のような艦が、今日、1月14日をもって、この地を離れる。よく晴れて「くめじま」の新たな任務を祝うような、さわやかな空の下、岸壁に基地隊の隊員総員が整列して見送った。

司令の高島辰彦海将補は、阪神基地隊でよく勤めた事を褒め、威勢よく次への任務につくよう力強く激励し、先の東北での活躍に感謝すると挨拶された。

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私もスピーチの機会を頂戴し、防衛懇話会の副会長として「私たちは、皆さんが神戸市を代表して、東北海上で困難な任務を果たして下さった事を決して忘れません。また、神戸に、そして阪神基地隊に戻って来て下さい。皆さんは神戸の誇りです」と、ご挨拶申し上げた。

午後1時30分。「航路の安全を祈る」という意味の旗が、基地の屋上に揚がる。くめじまには「感謝する」旗が掲げられ、出港。全隊員は帽子を振って、私たち民間人は旗を力一杯振って見送ったその時、阪神タイガースの応援歌が流れたのは、「こんな時の曲は、艦長が選ぶ事になっている」からだと、井上室長。なるほど。「1ヶ月のあの苦労も、この艦長なればこそもったのだ」と、改めて納得、感心したのだった。
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