ひと味違う新年会
(02/02 神戸市東灘区)
新年会といっても、出席者は全員男性はネクタイ着用で、全く他地区と違う。だからと言って堅苦しいわけではなく、人々は心から楽しんでいて…あっという間の二時間だったのは、住吉町吉田地区協議会の新年会。
1月27日、日曜日の午後5時からの同会は私の方からお願いしての参加だったが、それには理由があった。
吉田会館は、今を去ること40年前、故 大野栄美夫元兵庫県議会議長に手引きをいただき、各地から集ったリーダーの皆さんで私を候補者として選んで頂いた、その会館なのだ。また、その後も吉田地区のいろいろな行事に参加して、その団結と行動力に敬意を払っていたので、是非その人々と語ってみたかったのだ。
当日は大変温かくお迎え下さり、竹田 統 会長に隣席する栄を賜った。会長からは、「今日は吉田地区のダンジリや民生委員、子供会に老人会や婦人会、吉田地区役員、そして活躍して下さったOBの方々、それぞれのリーダーで吉田地区の重要メンバーが集っています」と説明を受けた。
集われたのは、全部で50人60人位だっただろうか。まず、竹田会長が挨拶で吉田地区の歴史に触れて、かつてこの地区に吉田幸麿氏の末裔が住んでいて、日本をリードする人物ゆえにその名が付いたこと。また、平生釟三郎氏が甲南大学や甲南病院等をつくり、大切な住吉学園の創立にも寄与したこと等を、詳しくユーモアを加えて語られた。
「そのような地区だから、誇りを持とう」とこそ仰らないものの、皆がそんな気持ちを抱いておられ、自慢ではなく、自信がわいてくる。住吉学園の「港まつりinすみよし」や「恋野温泉うはらの湯」にも触れ、最後に今後の方針で締めくくられた。見事なスピーチ … というより、むしろ「語り」だった。
次に挨拶に立った私は、私の出発点たる場所であり、諸々の行事なども拝見してきて、素晴らしい地域だと認識していることから、この会への参加を願った旨を語った上で、吉田地区協議会の全ての行事で皆がそれぞれの役目を立派に果たされ、区民が皆、参加された。私も、敬意をもって拝見しているとして、その発展を祝した。その上で、竹田 統 理事長が甲南病院を大切に守り育てようとされていることについて、灘・東灘の医療を守るため、それが大切なのだとして、「甲南病院の再建後の成功の為にも、頑張っています」と申し上げて結んだ。語りながら、竹田理事長と私の絆は、平生釟三郎先生かも知れないと、そんなことも感じたのだった。

会はスムーズに運び、実に和やかで、できるだけ多くの人々が語られるようにしておられ、会長はそれぞれの方に謝辞を述べられたり、茶化されたり。むろん、テーブルごとにも挨拶をなさっていた。
その中で、神社委員奉仕と協議員をされている金田眞三さんは、かつてとある冊子で、吉田会報で日本民族のコアは稲作農耕文化とだ前置きした上で、その文化を守っているのがダンジリや祭りで、担い手を育成する所が本住吉神社でしょうと記されていた方だ。私は、六甲アイランドに30年間神社仏閣が無くて、結果どのような町になったかを研究したかったので、良いヒントを与えて下さったと思っていただけに、拝読して以来、ずっとお会いしてみたい人だったが、その場で叶い、意見が合った。
中締めの後も残る人が多く、素晴らしい新年会だった。

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