熱意と努力、真摯な思いにうたれて
(01/05 市議ライフ徒然)
弓弦羽神社の澤田宮司のお知恵は、時にドラマを生んでもいる。そんなことを感じたのが…この越年。大晦日はここ20年以上、大切な弓弦羽神社のお手伝いをしていて、地元の銘酒、白鶴・菊正宗・剣菱の樽開きで振る舞い酒をなさる、その進行係としてしゃしゃり出ている。
そこでは、澤田宮司自らデザインされた十二支の絵柄の入った朱塗りの枡が、先着順で1,300個も振る舞われる。これが人気で、今年も約3,000人の人々がおいでて下さった。毎年一番乗りは、六甲アイランドから来て下さる若い方で、もう6年にもなる。中にはもちろん、顔なじみの方もおられる。
私は、屋根の葺き替えのために奉納される銅板のことで、応援のアナウンスをしていた。すると、女性のAさんが私に「私は毎年、朱塗りの枡を集めています。子丑寅卯辰巳午未申酉まで来て、今年の戌が与えられなくて、紙コップになりました。紅白を観たのが失敗でした。十二支が揃ったら、お店を出す決意をしていたのです。何とかなりませんか」と訴えられた。私は、「無理ですが、後日手に入ったら連絡します」と告げて、メモに電話番号を残してもらった。
なぜそんなお世話をする気になったか … 熱意に打たれたこともあるが、実は、それで思い出した昔のことが、私を後押しした。
28年前、市によると、東灘区青木を南北に分断する43号線が通ってからというもの、フェリーの発着場へ行くべく多くの人々が阪神青木駅で降りて向かう途中で、43号線の横断歩道で6人もの人々が事故死していたが、警察は横断歩道に信号を付けなかった。予算のせいもあるが、地元も全部が賛成ではなかったからだった。地元の方の反対理由は、尼崎の公害訴訟にあるように、信号で停まる度に排ガスが出るし、死ぬのは他地区の人々だからだ、と人づてに聞いた。私は、もしもう一人亡くなったら立ち上がろうと思っていた。やがて、立ち上がる時がきてしまった。署名活動をして、警察に座り込みをする覚悟で始めた。
その時、同じ思いで立ち上がってくださったのが、川北薬局の川北亀之進先生だった。永らくボーイスカウト活動をされている、穏やかで大きな方だった。私たちは、売名行為だとか、喘息で私の子供が死んだら責任を取れなどと言われながら頑張った。ようやく、43号線の青木のところに、信号機がついた。私は、一緒に立ち上がった彼に、熱いものを感じたのだった。
そんな思い出に通じる熱意から宮司にお願いしたところ、運良く終了後、夜中の2時半に入手できた。弓弦羽神社で再会してお渡しできたのは、朝8時35分。Aさんは、私にローソンの豚まんを4つプレゼントして下さった。昨夜から一睡もせず、朝起き会や保良山の参拝、また、ブログの件である方にお詫びをしにも行ったのだけれど、その神社でまた参拝できて、却って幸運だったと思いながら、帰宅して豚まんをいただいた。
実はAさんは、私に頼らず弓弦羽神社の朝の配布分を貰おうと、朝8時から並ばれていた。立派な心がけだし、努力だ。きっと、Aさんはお店を出して、成功されるだろう。たったこれだけの御縁だから、どんな方など分かりようもないけれど、年初から熱いものが感じられて、嬉しかった。そして、こんな出会いもある振る舞い酒と干支の枡配りを、いつまでも続けて欲しいと願ったのだった。

▲ 毎年吉例 弓弦羽神社の、灘の旨酒・呑み比べの鏡開き
>
前[P.1/2]
Prev:倒木に想いを馳せ、夢を来年に繋ぐ
Next:伝統ある地域の交流という豊かさ
HOME