あと一歩の優しさを
(12/27 市議ライフ徒然)
Aさんは、74才。日本の、戦後の貧しかった時代などにあっても愛情に恵まれて育たれたが、とあることから東京に出た。先頃止む無く離婚されたご主人との30年間ほどの暮らしが、一番良かったそうだが…あの大震災で、母親が暮らす神戸に帰らざるを得なくなる。長田のケミカルで女工さんとして働いて指が曲がってしまっているなど、まさにある意味、時代に翻弄された一人が、彼女だ。
「退職金は?」と聞かれ、「そんなもん、ありますかいな」と笑う。ただ一つの希望の灯火は、どんなに苦労していても明るく、他人には親切で義理堅いことだ。その明るさだけが、彼女を支えてきたのかも知れない。
だが、よくある話しとはいえ、かなり以前のことでもあり、私はこの件をブログに書くかどうか迷っていた。それは、と、ある区役所での、市民の受入窓口での対応についてだ。
依頼者であるAさんは、ご主人と、とある事情から離婚することに。ひと回りも下のご主人はずっと施設で暮らされ、ご両親の愛も知らない人生だったそうだが、すごくいい人で、優しく、働き者だった。お二人は決して憎しみからでなく、たまたまの諸事情から、熟慮の末にその道を選ばれたのだが、それに伴う相談だった。
私は、ある課長に相談して、窓口で親切な方をとお願いした。ところが、紹介されたBさんの所へAさんが相談に行くと、Aさんは随分冷たい対応を受たと言い、あまりよく理解できず、「どうすれば良いの」と、再び相談に来られたのだ。
足立ボランティアが粘り強く1時間半程、事情を何回も聞いた。私はもう一度、課長にAさんの、Bさんについての話しで相談した。Bさんは評判が良く、苦情は無いという。そこで、Aさんの希望はもとより課長の勧めもあって、より理解を深めるために。次の面会に足立ボランティアが立ちあい、Aさんによく分かるように助けることになった。
だが、立ち会ってみると、足立には「何をしに来たのか」という扱いで、余程嫌われたようだ。ご存じの方なら知っての通り、足立は人を怒らすような人間ではない。その彼女が、「あれはひどい。あれでは、Aさんが可哀そう」と訴える。私は、部長と課長に来てもらって現状を説明した。ところが、Bさんを庇ってか、「そんな事は無い」という。部課長の立場は理解するものの、その後のAさんの訴えを何回も聞かせて頂くと、どうやらAさんは役所恐怖症になっている。
私は、何も「そうしてくれ」と目的を達成させるために言っているのではない。ただ、Aさんは、Bさんの仰ることが理解出来ないのだ。役人の口から出る言葉が、専門用語のようになっている。例えば、家賃と言えば、あの年代では管理費などを含めてだと思うだろうが、役所はそうではない。所得についても、然り。今や、AB間は対話不能になっている。出来れば担当を変えて欲しいと何回もお願いしたが、出来ないとのこと。やっと課長が立ち会って下さることになったが、Aさんは「もう嫌」。足立も、もう嫌だという。仕方が無いのでもう一度だけとお願いして、違う方に変わって下さったら、今度はイキイキとして嬉しそうに報告に来られて、足立と1時間半も話しこんでいかれた。
私の子供の頃はといえば、砂糖・塩・醤油等は、近所で貸し借りをして助け合うのが普通で、ご近所はファミリー。仲良くせねば、生きて行けなかった。私は、その名残をAさんに感じた。なにしろ、74才といえば私と同い年だ。この年代は役所に弱く、耐えることが身を守る方法だった。しかし、しぶとく仲間を愛し、自分の身を切ってでも、貧しい人々に物を与えて笑うような、いわゆる「お人好し」のオバサンが多い。そのAさんが、私の事務所で足立を捕まえて1時間半も、「今度の担当は、神様のような人だった」と喜ばれた。私は、Bさんにあと一歩の優しさが欲しかったと、つくづく思ったのだった。>
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