白球のような雲
(07/25 神戸の文化・スポーツ)
「貴方の育てた何千人の子供達と私達は、決して貴方を忘れません。どうぞ、安らかにお休み下さい。ありがとうございました」─ そう記した弔電を…衷心からお送りしたのは、故 稗田一夫 東神戸軟式少年野球連盟会長の訃報に接して、すぐだった。
7月17日には、葬儀・告別式が行われた。私は、16日のお通夜と、両方に参列した。私は、氏が好きだった。81才で他界されたのだったが、その人生のうち40年間で、少年野球に尽くして下さった。
氏は、灘区の西郷チームに三人の子供たちを参加させた。それをきっかけに少年野球に関係するようになり、最後には、21チームを率いる連盟(中央区・灘区・東灘区)の会長として、永く子供達を育てて下さった。

喪主の稗田康晴氏は、「父はすべてが几帳面で筋を通す方で、西郷チームの全ての子供たちについての手書きの資料が残っているし、いろいろな事を書き残している。最後の自分の葬儀を、ベルコシティ灘の、この部屋にして欲しいともあった」と語られた。私は、その通りだと思った。約束を守られる、実に責任感の強い人だったのだ。
4年前に、このリーグの忘年会が行われた時、招待もされていないのに、東灘の女性市会議員が勝手に会場に入ってきて、名刺を配りだした。稗田さんはその議員に「貴女は招待していないので、出て行って下さい」と、言い放った。その議員は激しく反論したが、「安井・吉田議員には永くお世話になり、顧問もして下さっている。子供のためと言うなら、忘年会でなくてもいいでしょう」と言って、頑として入室させなかった。その議員は入り口に立って一時間、名刺を配り、握手をしていた。彼女は根性と美貌が売りだったが、皆は、女性を武器にするにしても、ああも厚かましいのかと目の当たりにしたし、野球を見に来た事もないと知っていた。

▲ 野球帽も捧げられた
その市議は次の選挙で、落選されたが、私はあの時、稗田氏を拝見していて、嬉しかった。立派に筋を通して下さった。私も吉田議員も、40年少年野球と歩んできていたのだ。私は、思い出を胸に、稗田一夫会長に弔電を打った。
盛夏の今、少年野球の子供たちの姿が、各所で見られる。良い汗を流している子供たちを育もうと尽くされた、稗田会長。見上げると、白球のような雲。きっと、今後も空から、子供たちを見守り続けられるのだろう。

少年野球チームの児童らも参列
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