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2016年 02月 23日 火曜日

当時、私は市議としてまだ、二期生。前列に座って、政治の厳しさを知ったのは… 宮崎元市長が再び誤りを認め、議会で神戸に空港が必要だと訴え、「あの時から、空港を思わない日はなかった」と、議場で深々と頭を下げた時だ。

問題のすべては、この空港の生い立ちにある。当時の市長であった宮崎辰雄氏の判断で、候補地の一つであった国の方針である関西空港構想の神戸沖案を蹴ったのだ。

以来、議会は神戸空港の建設に火の玉となった。国からの冷たい仕打ちや、市民の大反対があった。それでも、私たちは頑張った。「絶対に、神戸の将来にとって必要なのだ」と。多くの犠牲者が出て、議会人にも落選者が続いた。反対のブームに乗って、パフォーマンスだけの議員も誕生したが、神戸の経済界やJ.C.等、皆さんは頑張り続けて下さった。

かくて空港は誕生し、10年。その間、地方空港としては日本一の、2500万人を運んだ。だが、地理的にも15分で都心に行き、海上空港という安全で優秀な空港でありながら、今だ国際空港にもならず便数も運航時間も厳しい制約を受けており、実力が発揮できない状況にある。

大震災も乗り越えた。今、関西国際・伊丹・神戸の、三位一体、3空港一体運営の中に入るか、入れるのか … 神戸空港の将来を決する、この大変重要な節目の時期に神戸ポートピアホテルで行われたのが、2月21日の神戸空港10周年記念大会だ。

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久元市長は、「神戸空港を、関西国際空港・伊丹空港と連れだって、関西全体の役に立つ名誉ある地位につけたい」と意味深なスピーチ。井戸知事は、「関西国際空港がすぐにお客さんでパンクするのに、何故神戸空港を仲間に入れて対策を打たないのか」と、一歩踏み込みながらも「これ以上は言わない方がいい」と笑いを誘っておられた。

私は、神戸の為に関西の為に、そして今こそ政治力のある代議士が欲しいと盛山先生を見ながら、継子扱いの神戸空港よ、雄々しく立ち上がれ!と心の中で叫んだのだった。
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