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2016年 02月 05日 金曜日

皆さんご存じのように、INAC神戸レオネッサのファン感謝祭で、久元市長による澤選手への、神戸大使の… 委嘱式が行われた。去る、1月30日土曜日のことだ。

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▲平井会長・市長・澤選手
にこやかに引き受けて下さった澤選手だが、ここに至るには実は、市長室長の頑張りと、INAC神戸レオネッサを応援する市会議員の会々長、平井真千子議員の指導力があった。

あれは、忘れもしない昨年の暮れのこと。私は、INAC神戸の文オーナーと私語を交わしていた。その時、文オーナーは既に澤さんの引退を予感しておられた。そこで私は、「澤選手が引退したら、神戸に引き続き住んでいただきたいものです」と言った上で「神戸大使として、神戸の為にご尽力頂けないだろうか」とお尋ねした。

文会長は、「澤さんは神戸を第二の故郷と言っているし、彼女が本当の意味で、花開いたのも神戸だから、住むのはともかく、大使の依頼については、可能性がある」と言ってくださった。しかし、まだ現役なので、今はチャンスを伺っていようという事で、その場の話は終わった。

私はさらに、市の方がOKするかどうか、予め市長の意向を確かめておかねばと、秘書室長の長田さんにもお願いした。

この時、市長からはすぐにOKの返答が得られた。後は、文会長にタイミングを計ってもらうだけだ。私は、あくまでもINAC神戸を応援する議員団の相談役として立ち回る心づもりで、平井真千子会長に報告し、承知して頂いた。すべて、神戸市を女子サッカーのメッカにする為の一里塚に過ぎない。平井真千子会長も、宜しくと励ましてくれた。

そして、あの澤選手の婚約と引退声明だ。足立ボランティアが、「今が最大のチャンス」と読んだ。私も同感し、すぐに文オーナーに、強くお願いした。文さんは「焦らず、澤事務所に上手に申し込む」と答えてくれた。その返事に私は、公文書で申し込む必要を感じた。各地が、同じような事を考えている可能性が高いからだ。早く正式に手を打つべきと考え、長田室長に相談した。

長田室長は、自分名で立派な公文書を作成してくれた。私は、平井会長の名を加えるべきだろうと主張した。両名の名が連なったその公文書を、文会長に託したのは、1月8日の事だった。

かくて、1月22日。旅先のニュージーランドにいた私の携帯に、秘書課長から、うまく行っている旨のお電話を頂戴した。秘書課が澤事務所に丁寧に説明し、内諾を得たとの報だった。私はひとりニンマリして「良かった」と思った。

INAC神戸レオネッサのファン感謝祭での、神戸大使の委嘱式で市長は、「神戸市の事を宜しく」と微笑んだ。澤選手は「大好きな神戸の為に、最善を尽くします」と答えた。良かった。これで、神戸市を女子サッカーのメッカにする、その第一歩が進んだのだ。
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