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2015年 12月 04日 金曜日

変なコンサルタントが出てきて、御影公会堂の名前を変えるなどという事がないように、今後の人々に申し渡しておきたい。と、いうのも… かつて、御影市場を旨水館と名前を変えた経営コンサルタントがいたからだ。なんでもかんでも変えれば良いってモンじゃあ、なかろう。私は、今も御影市場がいいと思っている。

そんなことまで考えるのは、あの有名な ─ 知る人は知る、御影公会堂のオムライスの元祖をつくった、神戸市東灘区の鈴木利治さんが他界されたからだ。享年、85才。私も親しくていたが、いろいろと、良くご応対下さった。

御影公会堂のその味は50年変わらず、昭和レトロを感じさせてくれる、薄い卵にケチャップ。そんなオムライスは、建物と実に良く似合う。訪れる人々が楽しみにしておられ、昭和の時代に引き戻してくれるメニューだ。あっさりとして、美味しかった。

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葬儀会場は、公会堂のすぐ北にある西平野自治会館だった。私も、28日土曜日のお通夜と翌29日の告別式の両日とも、参列。御長男は喪主あいさつの中で、「父は、4日前まで公会堂で働いていました。父の姿は、割烹着を着て、肉や野菜を切っている姿がすべてでした」と故人を偲ばれた。そこには、そのまま、割烹着を着た笑顔の鈴木さんの御遺影が飾られていた。

「公会堂の火を消さないよう努力しますので、皆様の御協力をお願いします」と挨拶を結ばれた御長男は、食品関係にお勤め。長女の方は利治さんと働いておられたとあって、味はしっかりと受け継がれるに違いない。

来年4月から一年間改修工事で休館し、2年後、装いも新たに出発する御影公会堂の、その晴の姿を目にすることなく、他界されてしまった。食堂の前には、私も尽力した嘉納治五郎先生の記念室が設けられる予定である。外国からもきっと、記念室を訪れる方があるだろう。そんな方々にも、変わらないあのオムライスを召し上がっていただきたいと、楽しみにしていた。残念だが、しかし後継ぎがいてくれて、よかった。これからも、御影公会堂と歩んでいってほしい。

私は、したためた弔辞に「御影公会堂と地域のために、御活躍ありがとう」と記して、鈴木さんをお送りした。未来永劫、「御影公会堂」はあのオムライスとともにあって「御影公会堂」だからこその、それなのである。