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2015年 11月 27日 金曜日

大阪の橋下市長にも質問した、関西広域連合議会第63回関西広域連合委員会。そろそろ… 関西広域連合議会が結成されて、5年目。ある意味、一度立ち止まってみるべき時である。私が代表質問にあたった、11月19日土曜日13時からの大阪での同委員会で私は、そんな意味を込めて、井戸連合長と議論した。

私の質問は先ず、関西広域連合の目的について。① 関西広域にわたる諸問題の調整。例えば防災、防疫、テロ対策やドクターヘリ等 ② 国からの権限移譲の受け皿 ③ 東京一極主義から関西全体の底上げをして、二極化に行く(人口問題、経済問題、観光問題)等いろいろあるが、それなりに多くの実績を上げており、この組織が出来たお陰で、様々な点から諸問題が浮き彫りになって来た事も大いに評価するとした上で、「反省点は無いのか」と質した。

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例えば、関西の人々は関西広域連合についてほとんど知らず、市民権を得ているとは言えない事。寄りあい所帯で、理念が受け継がれて行かない恐れがある事から、プロパーの職員や民間人を入れて、組織を固める必要があるだろう事などだ。このままで行くと、市民は関西広域連合に期待せず、議会はサロン化して、お付き合い連合になってしまうと指摘したのである。

これに対して連合長は、「市民権がまだまだ無いのは、私の地味なところ」と弁明し、「プロパーでなくとも各県市から出向の職員が理念を受け継ぐ」と答弁された。

私は、「地味さが原因ではない。出向の職員で受け継ぐ事は出来ない」と反論したが、わずか8分の発言時間のため打ち切らざるを得ず、続いて大阪の橋下市長に質問した。

実は、彼は決して、私にとって「嫌いな人」ではなかった。委員会の前、たまたまお手洗いで隣り合わせになると、橋下市長の方から、「安井さん、今日の私への質問ですが… 業者を呼んで何とかならないかと聞いたのですが、いいご返事が出来ないようです」と言ってくれた。私は「いいんですよ。私の言いたいのは、何でも大阪という大阪の一人勝ちをどう思っているのか。関西の母都市としての、自覚の問題なのです」と言って別れたのだが、その時既に、論争は始まっていた。

本番の質疑で私は橋下市長に「メディカルジャパンで、大阪に28,000人も集めておいて、神戸には79人。もっと配慮すべきであり、何でも大阪でいいのか?」と質した。名前は言えないが、まわりの知事や市長もうなずき、会場が静かになった。私は、背中に熱いものを感じた。

その、張り詰めた空気の中での橋下市長の答弁は傑作で「次の市長に言って下さい」。もっとも「メディカルジャパンについては、連合が主催者ではなく、民間でやっているので…」としながらも「私個人としては、会場を分けてもいいと思う。ただ、民間の事なので…」と補って、一定の見識を示してくれた。

多くの反論を持っていた私が返す番だが、時間が無い。そこで、橋下市長に丁寧に「最後の関西広域連合議会の出席なので、何か思いとか、遺言はないか」と聞いた。後で、井戸連合長から廊下で「橋下さん、喜んでいたよ」と告げられた。私の男心が通じていた。良かった。

それにしても、「関西広域連合について市民はほとんど知らず、市民権を得ているとは言えない」のは、税を費やした議会にあって、深刻な事態ではないのだろうか。私のブログの読者の皆さんには、こうして様子をお伝えできるが、実はその一つの原因は、全く報道されないことではないだろうか。せめて、NHKのローカルニュースや新聞の地方版の隅ででも、多少は扱っていただきたいものである。
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