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2015年 10月 09日 金曜日

私がまだ一期生だった、40年前のこと。御影鳴尾線の御影東明地区で、車道と歩道を隔てるガードレールの設置を、地区から要望された。当時の東灘土木事務所にお願いしたが、所詮一期生、なかなか設置できずにいるうちに、横断しようとした女子児童が… 事故で亡くなった。私がお詫びに行くと、父親は悲しみを抑え、片腕で重いビール箱を配達されていた。彼は私の詫びに、黙ってうなずいてくださった。なんの慰めにもならなかったかもしれないが、私にとっては、決して忘れる事の出来ない事故で、今も、活動の原動力の一つになっている。

そんな昔を改めて思い浮かべたのは、東灘区深江地区の交差点(御影鳴尾線と北側右向き一方通行の交差点)で、物損事故に出くわしたからだ。

南から北へ向かっていて、赤信号で停車していたのは、10月6日午後4時30分頃。そこに、御影鳴尾線を東から西に向かう車が、北向き一方通行に向かって右折した途端、後部座席にいた足立ボランティアが「当たった!」と叫んだ。私には聞こえなかったが、「ボギッ」という大きな音だったという。

見ると、その車輌は右折後に北上し、跡には歩行者を守るためのポールが、曲がって横になっていた。車は止まるでもなく、平然と一方通行を北上。てっきり、ポールを確かめるのに止まると思っていたら、300〜400mもそのままなので、警笛を鳴らして停車してもらった。

車は左歩道側に片輪を乗り上げて止まり、ドライバーが降りて、私の車窓まで来た。私が、「おたく、当ったのに、そのままではアカンで!」と言うと、「分かってる。だから今、自分の車がどうなってるか見ているところだ。底にも当たったし」と言う。後続車が来たので、私はやむなく発進したが、気になったので、その車のナンバーを、知り合いの東部土木事務所の係長に告げた。

現場写真
すると、30分後に係長から電話。「今、警察と現場にいます」と仰る。さすが、係長。私は仕事が山積していたので、夜になって再び現場を訪れてみた。横に曲がったポールは除去され、跡はアスファルトで埋められていた。市民がつまずいたりしないように、しっかりと処理して下さっていたのだ。

あの交差点は学童の通学路で、よくボランティアの方が旗を持って立ち、子供たちを守って下さっている。たかがポールでも、歩道で待つ子供達の命を守っていたと思うと、黙って行ってしまった車に腹が立ってきた。よく公共物を破壊して逃げる人がいるが、個人の所有物以上に大切な公共の品と心得て欲しい。きっと、係長も心の中では怒っていただろう。

だが、考えてみれば、あの車のドライバーも立派な紳士のようだったし、決して悪気があったわけでもなく、あくまでも事故だから、自分から土木事務所か警察に報告して欲しいと思っていた。7日になって係長に確認したところ、ドライバーは現場に来て下さったと、はずんだ声で報告された。やはり、良い方だった。今は、通学路のことでもあり、出来るだけ早くポールを復活させて欲しいと願っている。公共物は、意味も無く設置されてなどいないのだし、通学路の子供たちを守るのは、私たち自身の将来を守ることなのである。
現場写真