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2015年 07月 14日 火曜日

御影は、「騒ぐ御影」から「考える御影」になり、そして今や、完全に… 行動する御影になった。

御影地区自治会連絡会の上田正敏会長に発起人の会長になって頂いて、御影地域まちづくり協議会ゝ長のバトンが藤澤福男さんから高嶋良平さんに移った、その歓送迎会を、御影のリーダーの人々が行う事になり、発起人20人が集まった。

いろいろと裏方の仕事も多いので、杉本憲一さんと濱田智司さんにやって頂きたいと、ご協力をお願いし、私も、この裏方をつとめる事にした。こうした行事は、いざやって行くといろいろな人間模様が出て難しいものなのだが、藤澤さんも高嶋さんも人々に敬愛されておられるだけに、本当に参加者が多く、わずかな2週間ほどで100人もの参加者になった。
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かくて、7月5日午後6時。御影公会堂には、大谷企画調整局長・谷口東灘区長・長谷川住宅都市局住宅担当局長・大藪みなと総局企業誘致担当部長・清家市民参画推進局市民生活部長・石神東灘区副区長兼まちづくり推進部長・工藤市長室秘書課長・稲田東灘区地域支援課長・屋久東灘区地域支援担当課長・藤林人事委員会事務局任用課長さんなど、役所からの豪華メンバーに加え、地元から御影の全自治会長・婦人会会長・老人会会長・青少協会会長等、大勢の皆さんが喜んで集われた。

各局長も区長も、口を揃えて「地元に多くの貢献をした事もさることながら、神戸市全体の自治会連絡会の会長として活躍して下さった。又、現在も日本赤十字社の理事として働いて下さっている。ますます頑張って欲しい」と、藤澤さんを激励された。高嶋会長へも、「体育協会の会長としてお世話になっている」として「これからに期待している」とのご挨拶を頂戴した。

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挨拶に立った私は、藤澤さんが震災後20年間、いろいろな苦労をされながらも、公平無私に御影の為に尽くされた事を話した。その中で、だんじり広場のこれからの使用方法について苦心された事にも触れて、「この広場は今後、地元と所有者、お互いの信頼と友好をもって続けて欲しい。その為には、使用する地元側は『使わせてもらっている』、所有者の御影クラッセ側は『お使いいただく』と、お互いに謙虚な思いでやって頂くのが、藤澤さんの御苦労に報いる事になる。又、藤澤さんは、『今日おいで下さったこれだけの人脈を是非、高嶋会長に受け継いで、御影の為に使って欲しい』と、まるで親が子に託す思いだと私に語られた」とスピーチした。

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よほどの思いがおありだったのか、これを受けて藤澤さんは、「だんじり広場の使用権。あれは、地元に権利のある市民公園が、御影中学校の校庭に使われたので、その御影の市民公園の代わりに、だんじり広場を地元に使わせるという話があった。だから、それを前提とした上で、コンペを承知したのだった」と主張され、「この話は、覚えておいて欲しい」と、語気を強めて語られた。藤澤さんには、地元から、名前を刻んだモンブランのボールペンが進呈された。

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若い方々からもこの二人は敬愛されていて、御影連合青年会は生憎、自分たちの総会と重なって出席こそ出来なかったが、藤澤さんと高嶋さんに花束を贈った。その花束は、御影南婦人会の大城代幸子会長から、笑顔で手渡された。会は大変盛り上がり、藤澤元会長の培われたものの大きさに加え、高嶋新会長への期待の高さもまた、良く分かる会だった。

今や完全に、行動する御影。そんな、これからの御影にふさわしい歓送迎会。燃えさかる御影の松明は、未来に向けて、若い手に移ったのである。