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2015年 05月 29日 金曜日

改めて思いを抱き、久しぶりの小屋の前に立つ。当時の事を懐かしむようでは…
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▲ 神戸まつりのだんじり
私も年なのかも知れないが、それほど、熱くなった思い入れがあって、忘れようにも忘れられない。他でもない、東明地区のだんじり小屋のことだ。

東灘のシーズン締めくくりと、大きな見出しが紙面に。東明八幡神社での宮入りで練り回す雄姿が報じられたのは、御影のだんじり。見出しの通り、4台のだんじりが、御影だんじりパレードと神戸まつり、さらに地元のだんじり祭りと、今年3回のだんじり行事を無事締めくくった。

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▲ 高嶋会長と
私も、東明のだんじり打ち上げに夜10時までお邪魔した。会長の高嶋良平さんは本当にだんじりが好きな方で、永年にわたってだんじりに貢献してこられた。だんじり道を語るとなれば、この方しか無いと思う。私も何回かお話しをうかがって、大きく感化されている。だんじりは、子供達の教育、地域文化の育成、さらに防災防犯に役立つ。だから、「政治家が絡んではいけない」が口癖だ。

その高嶋節を聞きながらの打ち上げの中、高嶋良平会長と東明だんじりを45年にわたって支えてこられた、保存会の東 保人さんが、「東明地区のだんじり小屋は、神戸一。この小屋があるので、いつでも鐘や太鼓の練習ができるし、近隣から苦情など29年間一度もない」と、私にお話し下さった。

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▲ 感慨深いだんじり小屋
私は、「ちょっと待って」と弁を遮り、「その小屋の土地は、30年前、私がつくった土地ですよ」と言葉を継いだ。六甲アイランドと本上を結ぶ道路の出入口インターが御影塚町に決定した時、当時自治会長でおられた、今は故人の川崎増雄さんと共に、みなと総局との話し合いに入った。川崎さんは永年シベリアで抑留され、日本の為に御苦労された方。それだけに忍耐強く、優しく、大きな方だった。

当時は大黒正宗などの酒造業者が集まっていて、社宅や民家があったのだが、自治会が分断される事になってしまった。強引に工事を進めようとする神戸市と、二人で対峙した。結果、川崎さんの人柄と私のつっ込みで、インターで使用する残地を、地元のためにだんじり小屋用として無償貸与する条件が成立した。これは、神戸市が返却要求をした時には応じるという条件付きで、その為に一年毎の契約となった。

それから、かれこれ30年。使用するだんじりの人々も、御近所と上手に付き合って下さっているので、神戸市への苦情もなく、神戸市も文句など言いようがない。震災の後、神戸市があらゆる土地を売却したが、この地に目が行かなかったのには、地元の努力も大きいのである。