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2015年 05月 19日 火曜日

今回の大阪都構想での戦いは、大きな大きな意味を持った戦いだった。否決までの5月17日という日は、私にとって… とても大切な日だった。実は、御影から4台のだんじりが神戸パレードに参加し、その応援に朝から足を運んでいた。市民の皆さんも大変喜んで下さり、市長も上機嫌。参加した約200人のだんじり仲間も、大満足だった。本当にいい天気に恵まれて、晴れ晴れしい気持ちだった。

だが心は、何としても勝ちたかった大阪都市構想の否決への戦いから離れなかった。午後4時、大学同窓の大阪市会議員、新田議員から電話を貰った。賛成51%・反対49%で、我々が負けているという。途端に心は真っ暗になって、思わず平野昌司議員に電話。彼は「期日前投票ではたぶん勝っているだろうから、何とか行くかも…どちらにしても、これからが勝負だ」と、力づけてくれた。

神戸からでは、延々と祈り続けるしかなかった。夜10時33分、NHKが否決側が勝利したと報じてくれた時には、ベッドの上で飛び上がってしまった。なにしろ、それまで例えば関西テレビ等の放送は、まるで賛成側が勝利したかのように橋下市長を称えていたからだ。確かに、出口調査では明らかに賛成が上回っていたから仕方がないのだろうが、まるで反対派が悪であるかのような表現だった。

この事からも分かるように、出口調査と言えどもこれだけの僅少差は予想できない。これは盛山正仁代議士の衆議院議員選挙でも、わずか400票差で経験した。

後の橋下市長の記者会見は、爽やかで潔いものだった。私は、彼なら政治家を辞めるし、そう言うだろうと思っていたが、その通りになった。彼は、民主主義はいいものだと言っているが、その通りである。しかも税金を使って、と何回も納税者に敬意を払っていたのは、立派である。かなりの満足感が伝わって来た。ただ、民主主義を支えているのがマスコミであると、メディアを持ち上げたのは見えみえ過ぎる。

翌朝のテレビ番組では、20〜30代の、これからの事を考える人々の意見が否決されて、70代の人々の意見が勝ったと批判していた。これでは、まるで老害扱いである。私はその70代だが、20代や30代の方と同様、これからの事、未来の事を想っている。

賢い橋下市長は、日本の民主主義の問題点が、一部メディアの未成長にある事を知っての上で、あの発言をしたのだと思う。かつて、戦争促進に加担したメディアの責任と反省は、戦後70年の今もなされず、まるで自分達が社会の正義であり、牽引者であると思っているのではないかとさえ思いたくなる。

今回の戦いで、大阪市民は英知を発揮した。大阪の自由民主党市会議員団は、本当によく戦って下さった。今後、賛成の方々が意識された「大阪をなんとか変えたい」との思いを決して無駄にせず、勝利におごる事なく、二重行政の解消に絶対に邁進して欲しい。

それにつけても許せないのは、某自民党幹部。「これで、憲法改正がやりにくくなった」と発言したバカ代議士がいるそうだ。政令市を犠牲にして憲法改正をするなら、私は反対である。それでは、党利党略のために大阪市民を犠牲にしようとしたことになる。橋下市長は、大阪都構想と憲法改正とで取り引きしていたのか。それならば、市民も国民もあったものではない。

公党とは主義主張で争うものであり、市民・国民不在の取り引きはやめて頂きたい。今まで、地方議員は代議士先生の犠牲になって来た。消費税アップの時も、そうだった。自分達の選挙が終わってから、アップを言い出した。

そんな風だから、市会議員から代議士を育てなくてはならないと、強く思う。我々市議は、市民生活に一番近いところにいるからである。
新聞紙イメージ
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