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2015年 05月 12日 火曜日

「祭りは、皆で喜ぶものだ。病人を出せばそれで終わりだ」─ そう言う、彼のやさしさが… 嬉しかった、今年のだんじり。5月3日、4日は我が東灘区はだんじり一色になる。5月3日は、だんじりパレードだ。

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御影では11台のだんじりが御影クラッセの前とだんじり広場に勢揃いし、祭りが最高潮になる。そこに約3,000人もの人々が集まり、楽しむ。私も、地元の上御影のだんじりに乗って登場 ─ 有難い事で、これも、もう12年以上続いている。

明けて4日は、弓弦羽神社への宮入り。これが、行事の真打ち、トリを飾る行事になるのだが、あいにくの雨が朝から降り続いていた。

実は前日、各だんじりの責任者が集まって、少々の雨なら、全11台が揃って宮入りすると約束をしていた。だから私は、宮入りを30分早めて午前10時から、弓弦羽神社境内で盛山代議士とともに雨の中、ビショビショになりながら11台のだんじりを待っていた。

各だんじりが、カッパを着ての宮入りだ。カッパの無い時はビニールや青シートをかぶるなど、大変だった。足元の土はドロドロだったが、各だんじりは、目標とする境内での3回の練り回しと、神殿に向かってだんじりの頭を上げる参拝をくり返した。

泥ねいのために立ち往生するだんじりもあったが、若い衆が力を合わせての練り回しで、乗り切って大きな拍手を浴びる。けっして、他地区の人が助けたり、部外者が手を触れてはいけない習わしなのだ。私は、信頼する幹部と「これでは、最後になる弓場のだんじりは、重いし大きいから大変な苦労だろう…どう乗り切るか」と、心配しながら話していた。

9台目が終わり、弓場のだんじりが境内入口に姿を現した次の瞬間、起こった事にびっくり。統括は、私の信頼する浜田ともじさんだが、境内に入ったとたん神殿に向かい、3回の参拝をするとすぐに、だんじりを待機場におさめた。見せ場の、3回の練り回しを中止したのである。

境内は一瞬ざわついたが、すぐに拍手に変わった。指導者の大変な勇気と英断だと思った。

隣りにいた幹部が一言「これでいいんだ。私の町のだんじりもそうしたかったが、若い者が許さない」。浜田さんは、若い者を説得した。大きな事故を防いだのである。弓場に続いた五六町のだんじりも、同じ判断で行動した。これも、素晴らしい。私はすぐ、浜田さんにメールを送った。「素晴らしい判断をありがとう」と。

一日おいて、6日。ラジオ体操で浜田さんに会ったので、理由を尋ねた。その答えが、冒頭の「祭りは、皆で喜ぶものだ…」。彼は、事故の心配に加え、出番まで境外で雨に降られながら1時間半も待っていた仲間の健康を心配したのだった。

こうした知恵が引き継がれるのもまた、だんじり道だ。これからも年々、祭が続いて行く。東灘は、だんじりと共に栄えて行くのである。
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