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2015年 04月 13日 月曜日

きっと、見る人は見ていると信じている ─ そう確信できて進んできた、今回の選挙。私の選挙戦は… 一昨日、4月11日午後8時の御影クラッセで終わった。

皆と実現に苦労した御影クラッセだんじり広場で、夜7時から1時間、最後のお願いをしていたそこには、なんと甲南漬会長の高嶋良平後援会長、それにボランティアの足立と、秘書の後藤に加え、協力者の皆さん約18人もが並んでいた。私は、その場所で選挙戦の終わりの時を迎えられるのが嬉しく、苦労した色々な事が、走馬燈のごとく蘇ってきた。
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今回の46回に渡る市政報告会と個人演説会では、たくさんの人々に助けて頂いた。中でもとりわけ印象深いのは、上御影会館でやった最後の演説会。約35人ものお集まりくださった方々の中に、ふと見ると、なんと矢田元市長ご夫妻がニコニコしながら座っておられた。私は常々、矢田さんは市民の皆さんに苦労だけさせた苦しい財政を、一人で悪者になって立て直された、いぶし銀のような市長と紹介している。当夜もそう言って演説を終えた後、無理に前市長にマイクを向けたところ、前市長は
「安井候補は言わなかったが、安井候補が議長時代に、議会の基本条例を作って、議会の大改革をした。私の時代でないとできないと言ってやられた。以来、議会が大きく広がった」
と言ってくださった。

私は、何より嬉しかった。この元市長は、その事を知っていてくださった。議長時代に苦労して良かった。市長が知っていてくれて…と、又うれしくて、涙がこぼれそうになりながら「きっと、梅村局長が市長に報告してくれていたのだろう。確かに、私がやらねば、私の時代にとの意識が強かった。しかし、その裏で、市会事務局の方々が本当に苦労をして、影で支えて下さったのです」と、皆さんに説明した。あれは、46回の報告会の中で、1〜2番で思い出に残るシーン。まじめに一生懸命やっていれば、見る人は観て下さっていると、確信を深めたのだった。

他にも、選挙戦で思い出される事は、数多い。その一つひとつが、貴重な時間だった。

投票が締め切られた後の、昨12日、午後10時30分に、私の11回目の選挙の当選確実が決定した。実は、私の事務所の周囲200m以内に2箇所、400m以内に2箇所と、狭い地域に四人の選挙事務所があった。御影のクラッセ広場では先陣争いもあるなど、選挙カーが地域で入りまじった戦いだった。あえて選挙違反を確信犯的にやっていた候補者もいたが、私は、真面目な選挙戦をして来た。結果は、私だけが生き残った。

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ボランティアの足立から連絡をうけ、迎えの車で御影の事務所に着くと、遅い時間にもかかわらず30人程の方々がお祝いに来て下さっていた。つめかけた人々と記念撮影をした。私とアメリカ留学時代ルームメートだったOさんも、来て下さっていた。私の好きなラーメン太郎の社長のFさん…皆、みんな大切な、良い人だ。きっとこの人々は、私が落選していても来て下さった方々だと感じられ、その心が嬉しかった。

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高嶋会長と
そして、なによりも、私のために御影を一つにまとめるムードメーカーしてくれたHさん。この人の影の力が、どれほど大きかったか。でも、彼は後方からニコニコ。やがて、姿を消していた。その姿に手を合わせた。

今は、皆さん一人びとりに感謝しつつ、満足している。議員人生で、最良の日になった。