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2015年 04月 10日 金曜日

本当に、私はみんなに助けられている。ありがたい…ありがたいと思った、その… この選挙戦での総決起大会を御影公会堂でやったのは、前ブログ記事で報じた通り、昨4月9日。お陰様で、満員になった。
会場写真
地域の有力者の皆様が1〜2分づつ … 川島 龍一 県医師会々長、長坂 肇 東灘区医師会々長、上田 康二 薬剤師会々長、それに、私の後援会幹事長である岡野 安雅先生と、高嶋 良平後援会長が、かわるがわるスピーチに立たれた。
写真 応援スピーチをくださった皆さん
高嶋 良平後援会長は、「二代にわたって後援会長を仰せつかった」とお話し下さった。私は、本当にありがたいと思った。


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高位当選をと訴える盛山代議士
盛山代議士は、私のようにスレスレで当選しても発言力が弱いから、高位当選をさせて欲しいと語った。彼の本音であろう。
私は、高位当選など思ってもみない。最下位でもいいから当選させて欲しいと語ってから、何故72才にもなって再度出馬するのか、に話を移した。

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三つの要点を説明

① 空港を神戸市の孝行息子にする
② 医療産業都市の提案者として完成を目指す
③ 現在の立派な市長を守り、長く仕事をさせる
の3点を大きな目標とし、東灘区においては…と、プレゼンテーション資料を使って説明した。


ダルビッシュ有のお父上、ダルビッシュセファット・ファルサ氏にも、ご挨拶をお願いして、会場は終盤にむけ、熱気に包まれていた。

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中山恭子参議院議員
そんな時突然、中山恭子参議院議員が応援に来て下さった。30年来の友人であり、古い仲間。私は、中山御夫婦に憧れを抱いている。御主人の中山成彬代議士は、文部科学大臣の時に日教組批判をしてクビになり、以来、不安定な議員生活をして現在も落選中でおられる。

恭子夫人は、小泉内閣時代に拉致問題の担当議員となり、インドネシアのジャカルタで、すでに帰国していた曽我ひとみさんとジェンキンスさんとの劇的な再会を成し遂げたのみならず、日本政府の反対を押し切り、総理を説得して、ジェンキンスさんを日本に連れて帰ったのだ。

あの、小さくて上品で控えめな彼女に、そんな気力と根性があったとは…いわゆる「賢い日本人」なのだ。私は、こんな二人が好きで、私の議会の机の上に写真を飾っている。そして、今宵はまた、こんな素敵なサプライズをして下さった。
写真
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焼肉の「はや」の速水宣二社長(写真右)は、「私がもう一度生まれ変わって、三人の友人を選べと言われたら、真っ先に選ぶ友人」として、皆にご紹介申し上げた。私は、皆に助けられている。ありがたい、ありがたいと感謝の気持ちで満たされた、総決起大会だった。

私の公約