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2015年 01月 29日 木曜日

千足耕一郎さん・大田秋俊さん・松下榮二郎さん・濱田太一郎さん ─ 4人の方々が、当時のなまなましいお話しをされたのは… 五六会の、震災と防災の集い。私も参加したこの集いは、先週の土曜日、1月24日に催された。神戸市東灘区御影本町の、御影本町五・六町で震災に遭われた方々や、救助や救援で活躍した皆さんに、当時の様子をお聞かせ頂く集まりで、帰りには、防災グッズまで頂いた。

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松下榮二郎さんは、多くの人を救出されたのだが、その救出中、一本のノコギリ、一本のカナヅチが役だった。「もっと道具があれば、更に多くの人を救う事が出来た」と訴えられたが、同感だった。救助活動した、すべての人が痛感したに違いない。

大田さんは、当時五六自治会館につめかけた、被災民の人々の気持ちの動きを語られた。一つのパン…救援物資の配分の難しさ。私も、同感だった。始めは譲り合うが、慣れてくるといがみ合うような難しさがある。

私は、灯をともし、手を合わせて冥福をお祈りするのも大切だが、このような生々しい話を伺って、反省と次への備えをするのはもっと大切で、それが顔見知りで同じ地域に住む人々の話しだけに、なおさら真実味が強まり、かつ素直にうかがえたのだと思う。

松下榮二郎さんとは、40年のお付き合いだ。ご実家は、地場産業のお酒の樽酒の樽を作る時に、巻いたり締めたりする、あの「竹」を工作している工房。氏は三代目でおられる。地場産業を支えるお仕事をされているわけだが、この伝統に培われた、技術の必要な仕事を続けて行こうにも、職人さんがいない。それを見かねた、この五六町の自治会長、杉本憲一さんが、ボランティアで松下さんを支え、工場で竹の工作をなさっている。

掲載紙
▲ 毎日新聞「私の20年」1月29日紙面
もともと器用な人ではあるが、その心の優しさが嬉しい。まず、町内の人に対するぬくもりを感じる。その上に、地場産業を支える気持ちだ。杉本さんは、松下さんの地域愛が気に入って、手伝う気になられたと仰る。こんな自治会長は、まずいないと思う。本当に仲のいい町内なのだ。

私も、無理に割り込んで、議員の立場ではなく、当日救助に当たった一人の男として、少しお話しした。議員としての話のほうは、毎日新聞の「私の20年」という題目で、今日の朝刊に掲載されている(写真右上)。調べてみると、市会議員69名のうち、震災当時議員として苦労したのはもう、わずか14人になっている。市職員も、42%になっているという。それだけに、この五・六町の集会は、実りのある集いで、お話しは本当に、大変勉強になったし、中味のしっかりした、立派な実のある集いだった。杉本憲一会長の発想に、改めて敬意を表したい。