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2015年 01月 27日 火曜日

年のはじめということもあって、甲南大学新学長、長坂悦敬工学博士をお招きし… およそ100人が出席して、母校甲南大学卒業生の神戸甲南会新年交歓会が生田神社会館で行われた。

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冒頭、会長の安福さんが、「ある関西学院大学OB会幹部に、『この頃甲南大学は元気がなくて…』と謙虚に話されると、その関学OBが『そうですね。甲南は弱ってますね』と答えられた」と、笑いを取られた。この笑いの中には、甲南卒業生の意地と気迫がこもっていた。

次いで挨拶に立たれた長坂学長は、「甲南の在校生は今8,000人で、コンパクトにまとめてある。これは大きな利点であって、質を高めて行く。その為に、100人以上の学生を教室に詰め込まない様、頑張って行く」と挨拶をされた。私は、それはつまり、手作りの教育を売りにして行く事だと感じ、同感した。同学長は、「社会と融合した大学を目指す」と挨拶を締めくられた。

私が学長にお話ししたのは、
①神戸議会では、平野昌司議員を始めとして甲南勢が頑張っている
②この二人の議員が、提案して医療産業都市づくりを進めている
③甲南大学の周辺、つまり阪急電線以北を、日本で三番目の文教地区に指定する運動をして認められた。その為に良好な環境が保たれている
の3点。

立ち話でもあり、どれほど学長の頭に残ったかは分からないが、大切なメッセージを送ったと思っている。
①には、「あぁ、そうですか」②には、「その分野にも、甲南大学は進出しなければならないし、今も協力している」。が、③にはまた、「あぁそうですか」。まぁ、仕方が無いだろうが、一度ゆっくり、神戸市との関係について話しあいたいものである。

ところで、私が学友会の会長をして、文教地区指定運動を地域と学生と教授を巻き込んでの運動を始めた時、私は高校が甲南でないために、ずっと甲南から上がってきた、いわゆる甲南漬の学生との間に、違和感があった。やはり、発言力は甲南漬の学生にあったのだ。そのせいか、正しい事をしても、何かいいかっこをしているといったような、足の引っ張りにあった。もっと他にする事があるだろう、とさえいわれ、運動が危い時期があったのだが、今回の新年会で私の横に座ってくれた同級生の西哲太郎君と、当時を思い出して色々な話ができたのは、楽しかった。

西哲太郎君は、御父上にかこつけて「あの運動はいい事だと言っといたで」と言ってくれたが、この一言で好転したのだ。私は今もmその言葉を忘れていない。それだけ、西哲太郎君には発言力があったのだ。公平ないい男で、結構モテていた。彼の父君も、日本を代表する大企業の役員。人望のある、甲南の大先輩だった。

敬愛する加藤隆久名誉宮司・博士にもお会いした。震災で崩れ落ちた神社の前で、ヘルメットを被った加藤先輩は「必ず再建する」と私に話して下さった。崩れた生田神社の写真は、当時、世界中に流れ、報じられた。先輩は、神戸の為にやると心に決めておられたのだろう。私にとっても、決して忘れられない一瞬だった。頂戴した、加藤先輩が即興で詠まれた俳句は、大切に胸にしまった。

生田神社は、良い。そして、「同窓会は、いいなぁ〜」と、心から思えた、実り多い新年会だった。