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2015年 01月 06日 火曜日

この、新年を飾る宴会は、宴会というよりも心の絆、仲間の絆の会だと思った ─ 楽しみにしていた、東灘区住吉宮町のお好み焼き屋、富士屋さんに集った… のは、富士屋の藤田ママと娘さんのチカチャンが招待された面々。毎年、1年間のお礼と新年のお祝いに、心をこめてごちそうとお酒を用意される、12年も続いた会で、今年は2日。私とボランティアの足立も、お呼びいただいて3年目になる。

昨年は、上等の鴨鍋に、カニの山積み鍋と、ちゃんこ鍋だった。今年は鴨鍋とおでんに、十分なお酒。もともと、私が「お好み焼きもそば焼きも、西日本一うまい」と公言している店だけに、料理は美味しいけれど、それをさらに美味しくするのが、集まった人たちの気分。いい人ばかりが、およそ40人も集まると、まさに藤田一家の様相である。ママとチカチャンは良く買って下さる方だけでなく、店に協力してくれる方などにも声を掛けられているようだ。

宴は、昼12時に始まった。皆、揃って食べ始める。ママは相変わらず、各鍋をまわって面倒を見る。チカチャンは、飲み物のお世話をする。気心しれた者達ばかりなので、皆、「ちゃん」づけ。カトチャン・ケンチャン・クッスン・ユークン・マークン・会長・パパ・アケミチャン・藤江さん…等々、うちとけた雰囲気だ。
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毎年、メンバーは少し変わったりもする。私のテーブルには、藤田パパが来て下さった。タクシーの乗務員をしながらも、この店のオーナーなのだ。

私も足立も、この一家が大好きだ。かつて、上海旅行を御一緒した事があったが、義理人情に厚く、やさしい。まるで、高倉健のような人で、酒は、大きめのおちょこ5杯位でいい気持になると仰る。地元の市営住宅の世話役をおしつけられている他、会社では組合の世話役等、いろいろな役をさせられている。つまり、何かもめごとや事件があってパパが出て行くと「藤田さんが来た」で一件落着する、カッコイイ男(74才)なのだ。

そんなパパが、なぜタクシーに乗っているかを語ってくださった。震災で、良く働く良い人が亡くなった。「ワシみたいな道楽者が、生き残った。私も、国家に税金を払う人間になろうと思った」…胸に、ジーンときた。

次に、テーブルにチカチャンの御主人カトチャンが来て下さった。「私は、藤田家の新参者ですが、よろしく」と仁義を切って「禁断の果実を手に入れました」と言う。私は、その謙虚さが好きになった。確かに、チカチャンは綺麗で気風も良く … いわゆる「いい女」であり、何より、明るくたくましい女性だ。見事にカトチャンの好みに合わせ、キャンプやユニバーサルスタジオで楽しみ、一家を盛り上げている。カトチャンも、真心を尽くして、良い夫婦になっている。
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宴もたけなわ、いきなりゲームが始まった。今日のチカチャンの変装は、日本エレキテル連合の、橋本小雪。あの、「ダメよ、ダメダメ〜」である。

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4人がストッキングをかぶって、引っ張り合って、はずれた者が負けというゲームを仕切る、チカチャン。それを見て楽しむ、仲間達。腹をかかえて笑うママ ─ いい正月だ。

隣のテーブルは、初めての参加らしいクッスンと会長と、その仲間の人々。クッスンは、ロッククライミングをしているといい、楽しい話を聞かせて頂いた。会長は、ロッククライミングではなく、山登り。六甲山は、山登りの練習場としては最高で、故・宮崎市長がつくった登山会が今もいきていると話しておられた。いずれも清々しく、良い仲間だ。

この仲間の絆の会の要は、藤田のママである。この賢く綺麗なママがあって、出来上がっている。パパは、会計は知らない。「私は食べるだけ」といっているが、それがいいのだろう。足立は、チカチャンの娘、アキナチャンにお年玉を用意していたが、アキナチャンは姿が見えなかった。きっと、ママとチカチャンが、皆が気をつかうからと配慮されたのだろう。この一家の奥ゆかしさが分かる。アキナチャンは今年、アメリカはロサンジェルスに留学する予定だという。私は、日増しにたくましくなるだろうと、大賛成した。

藤田さん御一家のご発展を祈りながら帰路に就き、初夢。集っておられた方々がまるで七福神のように、代わるがわる…賑やかな夢。震災二十年の節目に、人々の強くやさしく、楽しい絆を感じた正月だった。