主催者の藤澤協議会々長が「地元として、長年応援して来た乾杯条例ができて、喜んでいる。この上は、2016年の国際サミットの神戸市誘致に成功して、アメリカのオバマ大統領やロシアのプーチン大統領等各国の首脳に、灘の酒で乾杯して欲しい」とはじめに挨拶されて始まった宴では、岡口副市長も、「神戸の誇る地場産業として、灘の酒が日本中のみならず、世界にはばたいて欲しいと」希望を述べた。金澤副知事は「県下で10番目の乾杯条例ができて、喜んでいる。日本一の酒処の神戸に条例がなかったのは、画竜点睛を欠く状況だったが、これで良かった。ユネスコで日本食が世界遺産になったので、相関関係にある日本酒が伸びる事を期待している」と世界市場を遠望して、一言。
嘉納灘五郷理事長は、業界を代表して「今回の条例制定にあたって、我々も全力を尽くして来ただけに、嬉しく思っている」と喜びを語った上で「今回、こんなに地元の人々にお世話になっている事を知って、改めてお礼を申し上げたい」と、地元代表の皆さんに、謝辞を述べられた。(写真右上)
経過報告の機会を頂戴した私は、
- 平成25年の京都乾杯条例で私がショックを受けて以来、平成26年の10月27日まで、およそ2年間もかかったお詫び。神戸がワインを製造販売するのに絡んで、灘の酒とのボタンの掛け違いがあった。
- 「ワインを軽視するのか」というように、議会人間での意見に温度差があったためにこんなにかかってしまったが、久元市長の誕生と、議会における事変によって、好機が訪れて条例が、しかも満場一致でできた。これは、誰がやったといったことではなく、地元の人々と地元が一団となった結果。
という二点について述べた上で、「地元は、酒造業界を誇りとする。業界も、そんな地元を大切にしてゆくだろう」と報告をしめくくった。(写真右上)
宴は最高に盛り上がったが、実はこの裏には、高嶋良平甲南漬社長のご配慮が、色々とあった。私と足立ボランティアが2時間前に公会堂へ行くと、高嶋社長は、あの狭く暗い台所でワイシャツの袖をめくりあげ、百均の包丁で皆のためにと、自ら持参された美味しい甲南漬を切っては盛り付け、ラップで覆っておられた。その姿を見た時、私はその人柄に感動してしまった。
末筆ながら、畳の上にパネルとブルーシーツを敷いて、テーブルと椅子席に変えて下さった人々にも、心からお礼を申し上げたい。生一本、純粋な郷土愛の実りを感じる、すばらしい一時だった。
▲ 希望を述べる岡口副市長