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2014年 10月 21日 火曜日

甲南大OBの皆さんともお会いできると、楽しみにしていた週末の土曜日10月18日。神戸甲南会主催による久しぶりの日帰り旅行の行き先は… 奈良だ。甲南大学関係の連絡のお陰で、東大寺史研究所の坂東俊彦さんのご案内をいただいて、東大寺大仏殿に参拝。普段見れないところをご案内下さり、大仏様のひざ元にまで近づいて、詳しくご説明いただいた。

撮影禁止の世界遺産であり、日本の国宝である大仏様は、752年4月にインドから来た高僧によって、開眼。「やさしいおなごに似た大仏様」と語呂合わせして覚えた年号を、思い出した。私は、「インドの高僧に来てもらうのに、どのような方法で頼んだのか」「そのインドの高僧は、日本に何年位いて、その間何をして暮らしたのか」といったことに興味を持ち、気になっていたので聞いてみたのだが、「知りません」と仰られ、残念。

ともあれ、大仏様は、その後苦難の道を辿られた。その苦難の道は、二つ。ひとつは、自然災害と火事。もう一つは、時の権力者の都合による、改造だ。

例えば、平安時代、855年には大地震で頭が落下、修復された。その後、失火や落雷で、講堂や三面僧房が焼失した。さらに、1180年、平重衛(たいらのしげひら)軍によって、大仏殿以下、伽藍の大半が焼失したが、1185年に源頼朝の力で再興された。

そうした災難の繰り返しで、もともと金箔であったお姿が、今のようになっている。最近では、昭和39年〜55年の、昭和の大修理があった。今もって奈良の奈良時代を残すのは、大仏様の裾野に残る、ほんのわずかな金箔だけ。これが見られたのは特別で、有り難く、嬉しかった。

ご案内くださった坂東俊彦先生は愉快な方で、時の権力者によって色が塗り替えられたりした大仏様について「今や、大仏様はパッチワーク状況です」というように、面白い表現で御教授くださった。「耐震対策はできていますか」と尋ねてみると、全然出来ていないそうだ。それをすると、今の権力者がまた、手を入れる事になるのだから、これは仕方が無いだろう。

私は、その柔和なお顔を拝見しながら、「仏様は生きておられる」と思った。坂東さんによると、鼻の穴はずっと続いていて、肺の部分に達しているのだそうだが、その生命ではなく、私が生きていると感じたのは、慈悲の心。身体がどんなになろうとも、人々に対する、人間に対する愛がおありになる ─ そう感じたのだ。まわりで大声ではしゃぐ中国の人々やスペイン人も含めて、その目は、人々を見守って下さっていた。

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大仏様を離れ、立派な料亭、あやめ館で昼食。先輩の中村さんと安福幸雄会長に囲まれて「次はどこに行こう」と、計画を話すなど、会話がはずんだ。私と安福会長は、お互いに灘の酒乾杯条例で苦労した仲でもあるが、旅の合間に楽しく語り合え、大仏様のてのひらに乗ったような、初秋の良き一日だった。