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2014年 08月 19日 火曜日

雨にたたられた、今年の盆踊り。台風11号が近畿を直撃した後、前線が停滞して、御影地区の北小学校では、ドロまみれになりながらの、1日だけ。南の御影小学校では… 2日とも中止。その他、雨の中を押して盆踊りをした地区もあったが、役員さんの気の遣い方は大変だった。

東灘区では例年、30カ所位の盆踊りが行われる。毎年、その盆踊りをい巡るのは、私の年中行事の1つである。思えば、盆も正月も無い暮らしの議員になって以来、約40年。盆踊りの度、この歳になってまだ、子供同士で行った昔を思い出す。

小学生の頃は、盆踊りという催事そのものが大きく思えた。金魚すくいや屋台がとても楽しみで、父母との思い出も沢山できた。当時はちょうど敗戦直後だったが、国民・市民は、助け合って盆踊りをやっていたものだ。時には、米兵も混じっていた。

そんな思い出もあって、盆踊りの私の挨拶は、「平和だからできる。子供達にとっては、父母や祖父母との、また、友達との、多くの思いでができる。だから、盆踊りを大切にしよう」と訴えて、それを企画して下さった町の役員さんがたに、心からお礼を申し上げるのが慣わしだ。

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雨にもかかわらず、住吉の住之江地区の盆踊りは8月14・15日と行われ、両日とも参加した。前日、13日の吉田地区までは良い天気だったけれど、住之江地区の14日は、雨の中。それでも、私は踊った。

翌15日も、雨が降り続いていた。午後3時、区長の岩本氏に電話を入れた私が、「これでは、できないし、今夜は仮装大会だから無理だよなぁ」と言うと、彼は、「いやいや子供達が楽しみにしている。家族で何に仮装するか、ずっとずっと話して来ている。なんとしてもやる」と、言い切った。私も、それに押されて、「いいよ。やろう」と答えた。

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私は、カッパになる事にした。私の大好きなお好み焼き屋、富士屋の別室で、親切なちかちゃんが用意して下さった衣装をまとって、私はカッパ姿になった。

会場についてみると、やぐらを中心にして、皆が踊るあたりにテントを張ってある。つまり、協議会の皆さんが、テント張りの盆踊り会場をつくっていたのだ。これには、感動。その中で、子供たちも大人も、色々な仮装を楽しんだ。幸いにして、夜の7時には雨も上がり、大いに盛り上がった。
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かくて、今年も盆踊りの季節は過ぎて行ったけれど、こんな素晴らしく、やさしい地区があった事は、忘れられない。きっと、一生の思い出の一つになるだろう。
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