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2014年 07月 11日 金曜日

かつてはこのワイナリーで多くの人々が集い、遊び、泊まり、飲み、楽しんだものだ。しかし… 神戸ワインは売れなかった。一時は80万本ものワインが倉庫に眠る羽目になり、ついに、今年6月、神戸ワインは解散。負債総額は約47億円になっていた。ワイナリー開園から実に30年経っていた。

西区にある農業公園に視察に行ったのは、7月7日。初めて行われた産業港湾委員会(常任委員会)で、午後から現地へ出向いたのだ。私にとって、10年ぶり。その丘に立つともの悲しく身がひきしまり、葡萄畑を歩きながら、かつての姿を想いうかべていた。

神戸ワインを製造する為に、周辺の農家の人々と協力して昭和54年に始めたワイナリーは、まさに、兵どもが夢の跡。煉瓦色と白でつくられた古びた古城のように建つその姿は、何かを訴えているように思えた。

現地でも委員会が開かれ、産業振興局長をはじめ当局から今後の方針が示された。みのりの公社がワインの製造販売を引き継ぐ事となったという。わずかばかりであるが、生産を続け、かつては昭和59年に朝日農業賞を受賞したり、入園者数も年間最大約62万人にも達した、その実績を踏まえ「品種の向上に努め、頑張ります」と、心強く説明された。

各委員会からの質問の最後に、私は経過を良く知る議員として、「これだけの損失を市民に与えた責任は、議会にもある。私は、むしろ議会の責任であり、敗戦処理をして下さる皆様に申し訳ないと思っている」と発言した。

そもそも、何故神戸がワイン事業をやらなければならなかったのか。議論も十分にされず、ある地元の有力議員の先導のまま、地元の農業の復興と神戸のイメージアップ、さらには経済振興という大義によって税を投入し、破綻したという、株式会社神戸の破綻の一遍。

同様の例としては舞子ビラの件があるが、あちらは、当局の責任が大である。住宅供給公社 ─ これも、当局の責任が大きい。ベイシャトルのケースは仕方が無かった。むしろ大阪の力で、やらざるを得なかったと思っている。しかしこのベイシャトルは逆境をしのぎながら、本当によく頑張って下さっている。関係者の方々に頭が下がる。

審議の途中で判明したのは、この農業公園の敷地内に県が特別支援学校を建築する事になった、その敷地約2ヘクタールは県への無償貸与 ─ つまり、ただで土地を貸すことになっていた事。初めて明らかになったこの事実に、あわはら議員が「安井議員、この件は議会の審議の頭ででも出て来たか?」と尋ねられたが、「私も記憶にない」。

この件では、教育委員会の部長が「大切な県への無償貸与について議会への報告をしていませんでした」と、お詫びと報告に来られた。いつもの私なら怒るところだが、これも又、今まで質問しなかった議会にも問題がある上に、県に強く要求した一人だという責任からすれば、私も注意するべきだった。県に売るなり貸すなりすれば、かなりの金額になっていただろうに…とはいえ、市も、県とのやり取りの中でいろいろあったのだろうと思い、黙った。

これから当局が頑張って下さっても、神戸ワインは苦難の道をたどるだろう。思い切って「止めれば…」と思いを込めて申し上げたが、「頑張る」と仰る。それならば、議会もゴタゴタ言わず、ワインを一本でも買って応援するべきで、極道息子を預けたようなものだと考えることにした。

それにしても、農業公園の一番いい場所を持って行かれた。多くの障害者の方々にとっては嬉しく大切な事なので、私も賛成であり喜んでいるが、これでますます農業公園は苦しくなる。済まんが、頑張って欲しい。
公園全体図