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2014年 06月 03日 火曜日

ロシア視察第二の課題は、神戸との文化交流。 そこで私は、「この町に住む者は、すべて芸術文化を身につける ─ その教養を持たねばならない」といった空気を… 肌で感じ、受け止めた。

ロシア最大の文化・芸術・文学の町サンクトペテルブルグ(旧レニングラード)は、わずか1日の視察だったが、モスクワとあわせて報告したい。

サンクトペテルブルグは、ネヴァ川河口の泥沼地に人工的に作られた町だ。1703年ピョートル大帝がロシアの近代化の窓口として都市を建設し、一時期はロシアの首都となっている。モスクワよりもヨーロッパ側に近づける事によって、近代化を図ろうとしたのだろうか。世界三大美術館の1つ、エルミタージュ美術館が建てられ、芸術都市としての礎が築かれていった。

19世紀には、ロシア文学が花開き、世界最高峰の名作が次々に生み出されている。国民詩人プーシキンや、「罪と罰」のドストエフスキーなど、申し訳ないが、神戸とは…いや、日本とも、ましてアメリカ等とも、その重厚さにおいては桁が違っていた。

そんなサンクトペテルブルグでは、ロシア美術館を訪問。美術館といっても、ストロガノフスキー宮殿(1753年建築)、マーブル宮殿(1763年建築)、そして、本館のミハイロフスキー宮殿(1796年建築・1898年3月7日美術館としての改修完了)等からなる。その作品数は約37万点を超え、今も増え続けているそうだ。

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あらかじめ調査依頼をしていたので、ロシア美術館の学芸員・責任者が館内の案内役で、討論に入った。私たちは、神戸から持参した雪村新之助教育長からの、「神戸美術館との美術展示物の交流、および、情報提供等に関する申し入れ」をしたためた親書を提出した。美術館側は、あいにく館長が出張しているので、後日館長に渡し、協議したいとの返答だった。
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感動したのは、子供達は無料で館に出入りし、美術館の部屋を使って、授業が行われている事。指導者がついて作品を詳しく説明し、芸術を見る目を繰り返し育てている。それも、神戸市の学校のような見学会ではなく、まさに授業に美術館をうまく取り込んで活用しているのである。

モスクワに移ると、文化・芸術・美術はさらに重厚さを増した。さすが3000年の歴史を誇る、ユネスコ世界遺産の歴史地区を持つ街である。あらゆる所に宮殿や聖堂、記念館や劇場があり、行政もそれらを守るため、高い建物を建てさせない。看板も、大幅に制限している。地下鉄はあるが、地下100mを走っている。私は、もっと違って、文化や芸術についての扱いは軽いのだろうと思っていたが、大間違い。彼等の富は、これら文化や芸術、美術作品なのだと、思い知った。

私たちは、武器庫と称される博物館にも行ってみた。そこで驚いたのは、ロシアが他国を制圧した時の戦利品、相手国の王の使用した馬車から装飾品、宮殿の宝物などが一杯に飾られていたこと。まだまだあるというが、この辺の感覚にはむしろ、恐怖を感じた。今も各国から返して欲しいとの要求が続いているが相手にしていないようで、少々気になった。

モスクワの誇るバレエとオペラを探ろうと、ボリショイバレエも見に行った。かつてのロマノフ王朝時代の皇帝がバレエを鑑賞するために建てたエルミタージュ劇場で、一番良い席に座ろうと、私はみんなから日本円で3000円ずつ集めた。それで得た席は、なんと前から2列目。日本では考えられない安さである。

パンフレットは300円。それを見ると、ジプシー役にSAORI KOIKEという日本人名を発見。大井議員が「この方は、苦労してここまで来たのだとテレビのドキュメンタリーで報道されていた」と教えて下さった。彼は、朝一番に起きて、2時間町を走っては調べて来て、私に教えて下さった。私以上に多くを学び、一人で地下鉄も調査もしていたほどだったその姿勢は、立派。きっと、とても良い議員になって行くだろう。

バレエの最後に、出演者が総出で挨拶のバレエを踊る。観客は、拍手と花を送る。私は思わず、「SAORI」と大声を出した。日本人として、嬉しかったからだ。

バレエの内容はむろん素晴らしいものだったが、家族連れが多かった。休憩の15分の間に、小学生ぐらいの子供が今見たバレエの真似をしているほどに、市民にバレエがしみ込んでいるのも目の当たりにした。この裾野の広がりは、凄い。

こうした底辺の厚い分野では、到底対抗できそうにない。神戸は、何か違った船とか、港の文化を育てるべきなのかも知れないと感じたのだった。
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