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2014年 05月 23日 金曜日

あらかじめ神戸市みなと総局の担当課長から知識を得ていた私は、質問を用意していた。しかし… 非常に残念なことに、質問の時間は用意されていなかった。それは、福祉避難所船の可能性についてのフォーラムでのこと。兵庫県民の医療と福祉を守る会が5月17日に催した、 県民フォーラムの第4回だ。

4ヶ月程会っていなかった川島龍一兵庫県医師会々長に、風邪の診察と、ある方の病状についてのセカンドオピニオンを頂戴すべく、久しぶりに診療所に伺った。やぁーやぁーといった感じで打ち解けていたその訪問時、前述のフォーラムがあるので出席して欲しいと請われたのだ。

それは、港に停泊している船舶 ─ 例えば、フェリーや客船などを避難所として活用するのはどうか。また、その可能性と方法を論議しようと考えているというのである。基調講演の講師は3人。シンポジウムは、座長の川島龍一会長をはじめ6人の、良いメンバーである。私も神戸市会議員として、また人と防災未来センターの語り部として、多くを学びたいと思い、直ちに出席するとお答えした。

思えば、19年前の震災時。神戸市の大きな病院 … 神戸市民病院や六甲アイランド病院は、橋がやられたため、通常の10%〜20%の稼働率だった。被災者の治療に当たったのは主に町の診療所であり、ドクター ─ いわゆる町医者の皆さんだった。彼らは、自分の診療所が崩れていながらも、市民と共にあり、治療を続けて下さっていた。市民も、医師の為に水を集める等、協力した。川島県医師会長は、東灘区医師会長の頃から「医師は診療所に住んで、常に急患等の市民と共にいるべきである」と論じて来られたし、彼自身もそうされている。

実は、あの震災の時、海上自衛隊から「何故、艦を診療所に使わないのか」と問われた。艦には診療室があり、簡単な手術もできる。水もある。避難民の住居にはならないが、一時的な避難はできるとの事で、自衛隊の医官は歯ぎしりしていたのだった。私も市当局に伝えたが、当時はそれどころでは無かったらしい。かくて、この件は、私の中で反省点として残っていた。海の町、神戸で何故船舶を使わなかったのか。避難計画どころか、考えるだけ、思いついてすらいなかった盲点であった。

満員の会場、兵庫県医師会館では、壇上に西村康稔内閣府副大臣、井上欣三神戸大学大学院海事科学研究科名誉教授、石井正三日本医師会常任理事、石田稔明兵庫県健康福祉部部長、安藤昇国土交通省神戸運輸監理部長、佐々木正美新日本海フェリー常務取締役を迎え、川島龍一兵庫県医師会長を座長にシンポジウムが進められた。
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みなと総局の担当課長から得た知識によれば、災害時に船舶を使用する件については、大規模災害時の船舶の活用等に関する調査検討会から、ある種の最終報告(平成26年3月)が出ていた。それによると、阪神・淡路大震災でも東日本大震災でも、通信機能や医療機能の分能のため、ほとんど使われていなかったと結論されていた。

課題の一つは、いかに役立つ船舶を活用するにしても、岸壁が崩壊していては役に立たない事。従って、耐震強化を完璧にする為の予算を大幅につけたり、民間の船 ─ 例えばフェリー等の船の中に医療室を備える予算もつけるべきであるとされていたのだが、これらについての質疑時間はなかったので、今回は3時間、みっちり学びに徹した。いつか機会を得らるなら、万一の事態への備えを充実すべく、鋭意発言しようと思っている。