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2014年 03月 25日 火曜日

新幹線のジパングさくら号に、平野昌司議員と二人合わせて140歳、意気揚々と乗り込んだ。20日に、はるばる福岡まで足を運んだのは… 一般社団法人オーポラロシア福岡の田村理事長から、「ロシアの要人が来るので、是非会って、神戸の医療産業について懇談しては」という有り難いお招きを頂戴したからだ。二人で相談して、お土産に選んだのは、凮月堂のゴーフルを、4つ。

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▲ 左から、安井・コルクノフ・田村・平野
(敬称略)
ロシアの要人は、八名。先ず、現在、ロシア連邦政府中小企業発展競争委員会副委員長をつとめる、ボリゾフ・セルゲイ・R氏、60歳と、55歳の、その奥様。それに、有名なアンドレイ・コルクノフ氏、61歳。同氏は「世界的な消費財ブランドに比肩する認知度を持つといわれる、ロシア唯一のブランド」のチョコレート製造メーカー「A・コルクノフ」の元オーナー。この企業をアメリカに売って、今は「Tatekobank」という銀行を買収して頭取となった資産家は、その25歳になるご子息とともに。さらに、ロケット専門の技術工学博士で現在はパウマン大学学長の、アナトレイ・A・アンクサンドロフ氏 62歳と、53歳の奥様。そして、ロシア連邦議会上院議員であり、ヤロスラブリ州の州議会議員、プーチン大統領の側近でもある47歳のトンコフ・ニッライ氏と、大変お美しい奥様、43歳である。

迎えた日本側には、前福岡県知事の麻生渡 福岡空港ビルディング株式会社社長を始め、福岡経済同友会の理事等、多数の名士揃い。平野昌司議員と私は、もっぱら神戸市の医療産業を主にPRに務めたのだが、そのうちチョコレートの話が出た。神戸は日本一のお菓子とチョコレートとパンの街であり、その基は、ロシア革命で逃れて来た、モロゾフ氏だと説明すると、大いに興味を持たれた。特に、アンドレイ・コルクーノフ氏は、「ロシアではモスクワがお菓子の本場なので、何か連携ができればいいな」と仰る。

私も平野議員もそうだが、モロゾフの会長・社長がともに甲南大学出身なので、是非お伝えして、「何か面白い事でもやろうか…例えば、バレンタインチョコをロシアでも流行させるとか…」と話したのだけれど、ロシアでも既にそれはやっているそうで、ガックリ。それでも、何か出来そうだ、と話しは続いた。いずれ、何らかの形で実らせたいものである。

ロシアの方々との話も一服したころ、福岡空港の麻生氏に神戸沖空港の話を振ってみた。すると、麻生氏曰く
「神戸は大変な損をしたね。もし、関西空港が神戸沖だったら、神戸の経済は飛躍して、大阪経済と共に、東京と対抗する経済圏を構築し、そこに南の福岡県と日本を三分権化して、素晴らしい国家が形成できていた。今のように、東京一点主義は、あまりよくないからね … 今更しょうがないか…」
そして、「なぜあの時、宮崎さんは反対したのですか」と聞かれた。私はとっさに、「選挙が怖いからです。彼程の実績を持ちながら、公害の嵐の中で、空港は辛い選挙になっただろうから。彼の、後一押しの勇気があれば変わっていた」と、答えた。麻生氏は、黙って聞いておられた。

私が衝撃を受けたのは、あの判断のミスは神戸だけでなく、日本の成長にも大きな影響を与えていたと教えられたことだ。本当に政治は怖いものだと思った。

私は、麻生氏に「現在の神戸沖空港は大阪の財界によっていじめられ、色々な規制の枠が取れない。もし取れたら、成長するでしょうか」と尋ねてみた。彼は、力強く頷いて「当然ですよ。あんなに都心に近く、利便性も高い。今の関空は、遠すぎますよ」。やはり、識者は皆、そう思っていると確信したのだった。

「神戸に来られたら是非、私たちの新しい市長、久元に会って下さい」と、お願いして別れたが、二人合わせて140歳の道中とはいえ、まだまだ実に多くを学んだ日なのであった。