▲ 左から、安井・コルクノフ・田村・平野
(敬称略)
迎えた日本側には、前福岡県知事の麻生渡 福岡空港ビルディング株式会社社長を始め、福岡経済同友会の理事等、多数の名士揃い。平野昌司議員と私は、もっぱら神戸市の医療産業を主にPRに務めたのだが、そのうちチョコレートの話が出た。神戸は日本一のお菓子とチョコレートとパンの街であり、その基は、ロシア革命で逃れて来た、モロゾフ氏だと説明すると、大いに興味を持たれた。特に、アンドレイ・コルクーノフ氏は、「ロシアではモスクワがお菓子の本場なので、何か連携ができればいいな」と仰る。
私も平野議員もそうだが、モロゾフの会長・社長がともに甲南大学出身なので、是非お伝えして、「何か面白い事でもやろうか…例えば、バレンタインチョコをロシアでも流行させるとか…」と話したのだけれど、ロシアでも既にそれはやっているそうで、ガックリ。それでも、何か出来そうだ、と話しは続いた。いずれ、何らかの形で実らせたいものである。
ロシアの方々との話も一服したころ、福岡空港の麻生氏に神戸沖空港の話を振ってみた。すると、麻生氏曰く
「神戸は大変な損をしたね。もし、関西空港が神戸沖だったら、神戸の経済は飛躍して、大阪経済と共に、東京と対抗する経済圏を構築し、そこに南の福岡県と日本を三分権化して、素晴らしい国家が形成できていた。今のように、東京一点主義は、あまりよくないからね … 今更しょうがないか…」そして、「なぜあの時、宮崎さんは反対したのですか」と聞かれた。私はとっさに、「選挙が怖いからです。彼程の実績を持ちながら、公害の嵐の中で、空港は辛い選挙になっただろうから。彼の、後一押しの勇気があれば変わっていた」と、答えた。麻生氏は、黙って聞いておられた。
私が衝撃を受けたのは、あの判断のミスは神戸だけでなく、日本の成長にも大きな影響を与えていたと教えられたことだ。本当に政治は怖いものだと思った。
私は、麻生氏に「現在の神戸沖空港は大阪の財界によっていじめられ、色々な規制の枠が取れない。もし取れたら、成長するでしょうか」と尋ねてみた。彼は、力強く頷いて「当然ですよ。あんなに都心に近く、利便性も高い。今の関空は、遠すぎますよ」。やはり、識者は皆、そう思っていると確信したのだった。
「神戸に来られたら是非、私たちの新しい市長、久元に会って下さい」と、お願いして別れたが、二人合わせて140歳の道中とはいえ、まだまだ実に多くを学んだ日なのであった。