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2014年 03月 07日 金曜日

地元、東灘区で沢山の行事があった、3月2日。出席せねばならない立場なのは分かっていたが、お許しいただいて… 姫路の県立武道館で行われた、第7回全国テコンドー大会に出向いた。お陰様で、兵庫県テコンドー協会の金 珍秀会長との約束が守れた。御夫婦でテコンドー普及の為に一生懸命に働いておられる、金会長。韓国の人々の祖国を愛する心には、学ぶところがあると思う。

初めて行く武道館なので、興味津々。後藤秘書の運転で1時間10分で着いた武道館は、西延末の丘にそびえるような立派な建物だった。

来賓は、井戸知事の代理として北川県民局長。の李成権神戸大韓民国総領事、それに、私。親しい李 成権総領事とは再会を喜び、ハグしあった。

同大会で嬉しかったのは、日本国家、君が代が斉唱されたことだ。当り前のように思われるかも知れないが、テコンドーは韓国の武道で、選手の中には韓国籍の人々がいる。日韓の政府間の現状を思い、日本国歌を斉唱する気持ちに、敬意を表し、祝辞の中で、「次からは韓国の国旗も掲げ、国歌を歌って下さい」と述べた。政府間のことは別にして、民間人、ましてスポーツにおいては別問題とするべきと思うからだ。
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もったいないことに、当日私は、テコンドー協会から、テコンドーの普及に貢献したとして表彰され、これから益々、テコンドーの為に貢献したいと、意を固めた。神戸市中央区の藤田さんも、同様に表彰された。藤田さんのご子息は大変強いテコンドー選手で、韓国にテコンドー留学して修練され、オリンピック代表選手になる可能性が高いなど、親子で頑張っている、頼もしい方である。

ところで、そんな大会が始まる前、何かと行き届いた北川県民局長が「館長にあいさつに行って来ます」というので、同行。実は、私には深い思いがあった。

私は、御影が生んだ柔道の嘉納治五郎先生の記念館として、東灘区の御影公会堂を神戸の武道館にしたかった。委員会でも力説し、当時の笹山市長とも何回も話し合い、他の議員の助けも得て、やっと調査費がついた。私達の世界では、調査費がつくとは、その方向に向かうことの証明。ところが、喜んで、さぁこれからだと思っていたところに、あの忌わしい阪神淡路大震災が起きて、この件は凍結になってしまった。

5年もすれば復活するだろうと思っていたら、ある日、愕然とする事実が分かった。御影公会堂武道館化案を復活させようとしていた私が知ったのは、神戸市教育委員会が、県が姫路につくろうとする武道館に、その版権もいえる嘉納治五郎先生の遺品等を譲ったことだった。つまり、もう御影公会堂では困難であり、断念せざるを得なくなってしまっていたのだ。市は、私には凍結と言いながら、実は破棄して県に譲ったのだった。

私は怒って、「何故黙ってそんなことをしたのか。御影を裏切るというより議会軽視ではないか」と詰問した。当の課長は、「県に頼まれまして … 御影公会堂の話は 、無くなったと思いまして… 」と、おとぼけ。私の永年かけた苦労も水の泡。役人は、地元の思いや経過を知ってか知らずか……権力の行使はもっと慎重・丁寧にやって欲しかった。そんな経緯があっただけに、姫路の武道館にあっては、できるだけ有効に嘉納治五郎先生を活かして欲しかったのだ。

私は片山俊行館長に、「今となっては笑い話ですが…」と、前置きして経緯を述べ、聞いてみた。丁度その当時の前館長も同席されていた。「兵庫県から、二人の有名な武道家を二人生んでいる。一人は嘉納治五郎。もう一人は、宮本武蔵です」。そして「あれが第一号のポスターですが、このポスターに二人の写真を掲載していますし、二人の資料を整えつつあります」とのお答えを頂いた。見ると、確かにそこには、二人の武道家が並んでいた。それでいい。「姫路にとられたと思わず、御影でまた、別の形で顕彰して行こう」と、永年積もっていた恨みが消え、踏ん切りがついたのだった。
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