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2014年 02月 25日 火曜日

獣医さんのお陰で大変だった便秘も回復し、もう1匹のチーちゃんと2匹一緒にゴロゴロと、喉をならして喜び、一緒に両脇で寝ていた、愛猫のピョン。2週間前からまた… 食べなくなり、急激に痩せて来た。おおじ動物病院のおおじ先生に診察をお願いすると、日曜の休診日にも関わらず快く迎えていただいたのだけれど、「腎臓が弱って、手遅れの状況です」。よくもって3ヶ月、悪かったら3〜4日との宣告。それでも先生は、点滴で元気づけてくださった。

病院からの帰路、ピョンに、パパが頑張った阪神御影駅とバレンタイン広場や、御影公会堂、摂津本山駅を見せた。ピョンにとっては、生まれて初めて見るものばかり。足立さんの胸に抱かれて、景色をじっと見つめる、ピョン。この子はまだ海を見てないから、海に行こうかとも話したけれど、いや、疲れてはいけないと、帰宅してホットカーペットの上に寝かせた。

それから2〜3日。難しくて、指をかまれて負傷したりしながらも、無理矢理口を開けて、注射器で猫用ミルクを飲ませた。が、努力もむなしく、帰ってみると、そこには冷たくなったピョンがいた。2月18日。死亡直後らしく、目は開けたまま、幾度閉じても開いてしう。足立さんが十分、二十分と体をこすりながら、ピョンちゃんと呼びかけ続けたが、駄目だった。

服を着せて、花で飾り、箱に入れ、やっと目を閉じてくれた、ピョン。12歳だった。住吉どうぶつ霊園が混んでいたので、ベッドの脇にその箱を置いて2日間を共にし。21日に住吉川のほとり、住吉どうぶつ霊園に、秘書の後藤君と運んだ。道中、やってきたばかりの頃、私の手のイボを乳首のように両手で包んで吸っていたことや、まだ子猫の頃マンションのベランダを渡り歩いて謝って廻った事、家出して探しまわった事など、次々に思い出した。

霊園に着くと、どうぶつ霊園の社長さんの松尾さんが「あれ、安井先生」と、声を掛けてこられた。なんと、30年ぶりの再会。火葬に約1時間半、松尾ご夫婦と、色々な話ができた。大変親切なご夫婦で、本当に動物を愛しておられ、持ち主さんの心境を理解して、霊園を綺麗にしておられる。ピョンも、きっといい所に行けそうだ。

イラスト
「私の後援会に、猫に生まれたいという方が二人もおられます」とお話しすると、「猫の生活はいいですよ … 本当に気ままで。ただし、良い飼い主に当たらないと、それが大変です」と、ズバリ核心を突かれた。さて、私は良い飼い主だったかな … もうピョンは答えてくれないけれど…。

骨になったピョンを見る。大きな猫だった。拾った骨を骨壺に入れて持ち帰り、我が家の明るい所に置いた。ちょうど、先のブログをお読みくださった方から、猫二匹を描いた葉書を頂戴していたので、一緒に飾った。おっとりした性格で可愛かった、ピョン … 本当に、淋しくなった。