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2014年 02月 18日 火曜日

党派を超えた議員仲間のつながりは、本当に大切。主義主張こそ違えど、素直に考えてみる気持ちになって… いけるかどうか、が大事なのだ ─ そんな事を改めて思ったのは、去る16日、日曜日に、民主党 元 神戸市会議員の土居吉文氏の葬儀が行われた、その席でのことだ。彼とは、5期20年にわたって、選挙戦で渡り合った。享年73歳…いい男だった。

彼は神戸製鋼の労働組合の委員長で、選挙に強かったが、それは、彼の人柄によるのだった。いつも控えめで、決して悪口を言わなかった。真面目で、委員会を欠席したことも無かった。私とは東灘区の事でいろいろ論争したが、最後には、お互いに譲り合えるバランス感覚を持っていて、本当に頼りにしていた。今とは違って、党派を超えて、人柄での付き合いがあったのだ。

5期で引退するかどうか彼が悩んでいた時、私は必死で止めた。選挙は心配ないだろうし、せめてもう1期つとめ、副議長だけでもして欲しいと頼んだ。神戸製鋼社の都合からなのかと聞いたが、決してそうではなく、奥様の関係で、彼も家族に選挙の負担を掛けるのを大変気にしていた。「早く、一般人として余生を楽しみたい」とも語っていた。仲の良かった、当時の民主党の団長荻阪議員を交えて説得したが、駄目だった。

引退後は、後継者の井手君を連れて廻り、見事に当選させた。彼の後継者だったので私も親しくしたが、2期目は落選してしまった。しかし、土居さんとの交流は続いていて、荻阪議員を交え、よく会食したものだ。帰路、彼の運転で我が家まで送ってもらう道中にも、色々な話をした。彼の娘さんが海外協力隊で、アフリカに行って活躍をしている事 ─ 彼はその事が嬉しかったのだろう、繰り返し話してくれた。

葬儀場で隣に座った、かつての共産党女性議員の尾崎議員も、いい人だったと言う。尾崎議員は小さな方なので、本会議場の椅子にちょこんと正座して座るのが有名で、その話をして、笑った。平野昌司議員も加わって、共産党の猛者であった東灘区の岩井議員、兵庫区の橘議員など、神戸空港問題で戦った思い出話に花が咲いた。三人の結論は、「共産党らしい議員が今は無くなった」。私は、「東灘区の松本のり子議員はいいよ!」とカバーした。

こうした議員仲間のつながりは大切だが、その基礎となるのは、やはり人柄と信頼関係だ。私も議会の子供と称しているが、議会を守るのは、議員各人の人柄と信頼だと思っている。それが、対立する議論を真剣に聞いて考える事につながる。例えば、議員の数を減らすのが正義であるかのような大合唱の中で、共産党は「減らすのは民主主義の破壊に近づく」と警戒しているそれを、素直に考えてみる気持ちになっていく、その事が大切なのだ。土居氏は共産党の議員ではなかったが、彼が発言すると、皆が「考えてみよう」と思える、そんな議員だったのだ。

好きで、もっといて欲しい戦友が、また一人いなくなった。本当に残念でならない。合掌。
葬儀場祭壇