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2009年 07月 07日 火曜日

今日は、長田区の方に朝から仕事が発生して、その方向に向かった。その途中電話が入って1時間も延びる事になって… 時間を消化する為に、昔住んでいた兵庫区下沢通1丁目に行った。私が青春を過ごした土地だ。

▲ゴミステーションの前に立つ

私の実家は、三代続いた日本料理店で、「丸太ごうし」といってよくはやっていたと思う…私がバカな志を持ったものだから、消滅させてしまった。先祖に申し訳ない。その土地は、妹が引き継ぎ駐車場となっている。私の祖父母は70年続いた店の前に、ゴミステーションが作られ泣いていた。日本料理店の玄関は大切なのに…


税務署職員がやたらと威張った時代で、飲みに来た。税務職員の靴が変わった事で、父母、私、妹まで並べられ怒鳴られた。キレた祖父母が、「税務署がどないした。靴ぐらい1000足でも2000足でも買ってやる!」とタンカを切った。その時確実に、私の血の中に反権力の血が生まれた。(当時、小学校6年生だった。兵庫高校時代は、カミナリ族と学生運動をしていた。)

▲昔、お世話になった喫茶店

昔お世話になり、優しかった喫茶店に入った。相変わらず美味しかった。40年ぶりのコーヒーである。御主人もお元気で居て下さった。うれしかった。帰りに学生時代よく行った、すし屋の前に立ったら女将さんが偶然出てきて、ワァー白髪になっているが顔は活気に満ちている。御主人もお元気そうで、なにより。再会を約束して別れたが、「思えば高校生時代からすし屋に出入りしていたのかと思うと、不良だったのかも知れない。」と中山秘書と苦笑しながら、兵庫高校へ向かった。


▲校門の前に立つ
そしてまた驚いた。これ又すっかり変わってしまって、南東にあった正面玄関が阪の上の東側に変わっていた。校庭にあったシンボルの「ユウカリの木」も無い…この事は台風で倒れたと聞いていたので、知っていたがやはり寂しかった。

▲ユーカリの木
正面の横に古い「ユーカリの木」があって昔をしのばせてくれる。私は、ここで生徒会長をしていてグランドのスタンドに立って、演説したり、応援団長として指揮をしていた。その時の写真等は震災ですべて失ってしまった。悲しい事だ。でも友達から集めようとは思わない。しっかりと思い出せるから…48年ぶりにスタンドに立って応援団長をやった。

▲応援団を思い出す…
校歌「武陽が丘のあさみどり 白木雲湧くユーカリに…」、応援歌「過ぎにし年のうらみをば いかでか忘れん ますらおに 誓いに誓いし復讐を 成すべき時は今なるぞ…」この応援歌は、私の最も好きな歌だった。幼い頃、税務署職員に家族全員が、たった靴一足の事で一列に並ばされたことの屈辱をいつも思い出していた。その事を知って、私の両親は、決してその職員の名前を私に言わずに他界した。私の思いを知っていたからに違いない。今は、時代が違うからそんな事はできないが、形こそ違うが、今も役人根性は残っているのではないか。48年ぶりに立った兵庫高校のスタンドで思った。そして、初恋のK子さんはどうしているかな〜なんて…同級生で結婚した者も3組いたが、うまくいっているようでなによりと思う。