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2013年 12月 24日 火曜日

深々と頭を下げたい気持ちになっていたのは、引退される19名の民生委員の方々のこと。民生委員は労多く責任重く、だのに… 報われることのない仕事なのだ。

私も、区の民生委員の推薦委員になったことがある。その時に知ったことだが、神戸市の各区で、民生委員の定数割れを起こしている。東灘区も、今年度は7人の欠員。この大切な奉仕活動に支払われる実費弁償は、年にわずか58,200円と、携帯電話代でほとんどが消えてしまう程度でしかない。

私は、委員会で訴え続けたが、増額はほとんど適わなかった。国の補助金に頼った、国からの支給によるためだ。

実は先日、「妻が、お陰様で27年間民生委員をさせて頂きましたが、定年で退任になりました。いろいろありがとうございました」と、民生委員のお一人、田村 郁さんの御主人から丁寧なご挨拶を頂いた。私は、「もったいないことで…。長い間、人々のために御奉仕して下さり、本当にありがとうございました」と、おもわず頭を下げた。

それにしても27年間は長いと思って、東灘区を調べてみた。もうお1人、魚崎の方で27年間して下さった方がおられる。次いで、25年、22年、19年と続き、東灘区だけでも全部で19人の方々が、11月30日で退任されていた。

その中には、大城代幸子さん(19年)もおられる。この方は、民生委員として一人暮らしの方々への弁当配り奉仕活動中に、一人暮らしの方が浴槽で死亡しているのを発見された。
青木の中田武子さん(25年)は、台風の時も大雨の時も、気になる一人住まいの方を外から覗いて、安全を確認して廻られた。
御影の高田寛子さん(22年)は、一人住まいだった置塩さんの面倒を見て下さった。新聞がたまっているからと様子を見て、倒れているのを発見した。そんな思いやりに、置塩さんは遺産16億円を神戸市へご寄付下さった。いわゆる置塩基金である。

いずれの方も、常に控えめで口が堅く、いつも笑顔でいらっしゃる。その報酬金額などにこだわらず、使命感だけで働いて下さったのだが、それを支えたのは、各御家庭の良き環境のようだ。

例えば、冒頭の田村さんのご家庭は、ご主人は一流大学から上場企業にお勤めの後、引退され、その後ご夫婦で、有名な笹部さくらの岡本桜公園を管理し、冠桜会を実質上、運営して下さっている。いつまでも社会の為にと心がけでおられ、ありがちな勲章狙いの邪心など、微塵も無い。

そんな方々から「ありがとう」と仰られると、私の胸ははちきれそうになる。「なんと立派な、日本の女性なのか」と、感じずにはいられないのだ。敗戦の日本を立ち起こし、震災の神戸を復興させた年代の人々である彼女たちが、黙って去って行く。

言わば、地域社会の縁の下におられる、心底の力持ち。日本はまさに、そうした方々に支えられているのである。

ふと気が付くと、テーブルの上に猪瀬都知事の辞任を報じた新聞があった。私は思わず、「あんたには分からんだろう」と、新聞をくしゃくしゃにして投げ捨てたのだった。