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2009年 07月 06日 月曜日

今日もたくさんのボランティアの方々がおいで下さって、皆で親子丼を食べて楽しむなど、安井事務所はいつもの和やかさだった。ところで、昨日書いていた映画の報告。久しぶりに「風と共に去りぬ」(クラークゲーブルとヴィヴィアンリーの共演)を鑑賞 ─ 実は7回目なのだけれど、何回見てもいい。1939年の作品でで、約70年前の映画なのに、凄い、凄い。脚本がしっかりしているからだと思うが、古さを感じさせない。特に、ラストシーンで最愛の娘と頼るべく主人に去られ、失意のドン底の「スカーレット・オハラ」が自分を生み育てた故郷に希望を持つ姿は、故郷の偉大さと深みを知らしめられる。「A中」と評価したのは、70年の歳月を考慮した上だ。

午後にはあの速水消防士の消防葬に… 出かけた。

▲消防葬会場

午後1時30分、「神戸市消防葬」が神戸文化ホール大ホールでしめやかに始まり、私も出席した。あの、6月1日東灘区で起こった工場火災で殉職された速水力さん。その遺影の真正面に、私は座った。まるで、速水力さんと対話しているように思えてならなかった。私は「君がもう火の中で倒れた時、外に居た、たった一人の市会議員だよ。君の仲間は君を助けようと何度も何度も試みたが、できなかった」と遺影に向かってつぶやいた。


彼の遺骨は、ベートーベンの「英雄」が流れる中、仲間の消防士たちに運ばれ、壇上中央に安置された。天皇陛下から叙勲が許されたことを、消防庁石井審議官が伝達された。矢田市長は「君の崇高な精神と、尊い命を懸けて任務を遂行した責任感を忘れる事はできない」と語った。また消防葬委員長の小野田局長は「君は、阪神大震災で災害から市民を守る事を決意して、消防局に入隊され、殉職を果たされました。二度と二次災害が起きないよう、誓います」と、弔辞を捧げた。

▲弔辞を捧げる田中君
続いて、市民の代表として、トライアルウィーク中、東灘消防隊で訓練を受けていた御影中学校2年生の田中はるき君が、壇上に上がった。彼の「トライやる・ウィーク」の指導者は速水さんだった、彼が指導を受けている時に出動がかかり、次の日に速水さんの死を知った。田中君が「世の中で命を懸けて守って下さっている人がいる事を知りました」と弔辞を読む。仲間の消防士の方々から感極まって涙が流れるのが、分かる。本当にそうだ。ありがたい事だ。田中はるき君の様にみんなが、それを感じる事が大切だと思う。



▲夫人は凛として花を手向けられた

葬儀が進み、速水夫人が堂々と見事に、献花された。お父上は、淡々と献花された。きっと、速水君と暮らした少年時代からの事を思い浮かべたに違いない。お母上もしずしずと献花された。辛かったに違いない。いかに世の中のためとはいえ、母親なら辛いに決まっている。


▲お別れに臨まれる父君

私は今、速水君が亡くなった現場を思い出している。現場にも花をたむけた。私のできる事は、すべてやった。この消防葬でも、最後まで残った。東灘区の議員として、君へのお礼と敬意を表する為に…。

葬儀が終わってなお、そこには東灘区の4人の議員の姿があった。私は救われたように思った。区長・副区長、そして御影中学校の校長の姿も、そこにあった。君の事は決して忘れない。ありがとう、ありがとう…