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2013年 09月 20日 金曜日

思えば、住吉学園から声がかかるのは23年振り。ご招待は、とても嬉しかった。私は議会のことが気になったので、予め諸々調整して、この日に備えた。それは… 一歩開かれた住吉学園に応える気持ちからでもあった。

ポートアイランドホール(ワールド記念ホール)で行われた大会の来場者数は、約4,000人。住吉地区から、70才以上の方々をバス70台で運んだというほど、思いやりにあふれた運営で、会場は嬉しさと期待で満ちていた。

中島 愼賀理事長が登壇し、明治44年から始まった尚歯会を説明された。今回は、やるなら徹底的にとばかり、現在約8,300名のうち、希望された約4,000名の方々と、東北地方で被災されたご家族13人を招待されていた。住吉学園はこの4月から、一般財団法人になった。「社会のために、教育振興事業・地域振興事業・福祉振興事業等、地域活動を続けます」と、東灘区図書館やだんじり会館等、具体的な例を説明しながら、ユーモアを交えながら、力を込めて語られた。
少し長いという向きもあったものの、私は、必要な内容であり、大切でいいスピーチだと聞き入っていた。最後に、この尚歯会100年記念のテーマを、これまでもこれからも絆とつなぐためにと、「つないだ絆、続く100年」にした、と締めくくられた。

矢田立郎神戸市長も登壇。市長にとっては、最後の大きな舞台でのスピーチとなる。いつもと変わらず、感謝と現状を語り、最後に「私の後継者」として、久元きぞう氏を紹介。控えめな彼にとっては、最後の勇気だったと思う。紹介をうけた久元氏は、立ち上がって、深々と頭を下げた。それでよし、気持ちは伝わったと思う。

一般財団法人甲南会 平生誠三氏も、甲南学園・甲南病院の創立者 平生釟三郎氏の子孫さんを招待されて、祝辞の場を与えられていた。

前の小川甲南学園理事長と甲南病院の理事長が、大変、平生釟三郎氏を尊敬し同氏の研究を進めている方で、その小川さんと私は、特に親しく、いろいろな相談を受けていた。その度に、平生誠三氏のことを聞かされていたので、感動。さきだって控室で、私は「やっとお会い出来ました」と、名刺を交換していた。期待通り、彼は住吉学園が果たしている社会貢献を称え、甲南病院も社会貢献を進めると語った。

いよいよ、神戸市立住吉中学校吹奏楽部の見事な演奏。そして、会を盛り上げる、神戸市住吉小学校の合唱。いずれも、日本的でもあり、高い評価を受けてる。住吉学園も、かなり支援しているそうだ。

続いては、高齢者が待ちにまった、これまた豪華な演芸会で、会はいよいよ盛り上がった。浜村 淳さんの司会を、馬場尚子さんが軽快なしゃべりで盛り上げる。石川さゆりさんは、「津軽海峡冬景色」で始まり「天城越え」までヒット曲を歌いまくった。そして、あの八代亜紀さんが登場。自分の母親の事を語ってから、ヒット曲「おんな港町」から「舟唄」で締めくくるまで、さすがプロ中のプロ演歌。盛り上がった会場で、挨拶を終えて来賓席に戻られた中島理事長に、「あんな女性が私の妻だったら、かさ高くて、大変ですね」と言うと、理事長は「そうですな…。でも、いい天気で良かった」と話しが弾んだ。私は、住吉学園が開かれて公平になり、ますます地域に愛されていることに、心からお礼申し上げた。
会場写真


実は、私の敬愛する兄貴とも言える安井よし夫夫妻も招待を受け、喜んでバスに乗って参加していた。住吉に住人でいる喜びと感謝を述べたこのお二人のご両親は、住吉の水道浄水場々長として、住吉に住んで90年、長らく住吉の水道を守ってこられたのだ。

心暖まる会場を後にする頃には、心から住吉地区の平和と、学園の発展、皆様のご活躍を祈っていたのだった。