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2009年 07月 04日 土曜日

華の金曜日の午後4時以降は、皆さんのご意見を伺ったり、陳情を頂くなど、華とは無縁。私の方から出向いたのだが、盛山代議士にもご同行…

▲盛山代議士と御意見を頂く
いただいた。盛山代議士には、現在の経済状況や身近な問題点について、お話を頂いた。多くの会社の意見は「公共事業が安すぎる上に、仕事の量が激減して困っている。公共事業が悪であるという感覚は、行き過ぎではないか」というものだった。確かにムダな投資もあるのだろうが、それ以上に、地元に仕事が来ず、他の都市や大手が仕事を取っていく実態を問題にされていた。

▲陳情を頂く
一方、個人の方は、やはり防災・防犯の事や、盛山代議士得意の「バリアフリー」の件。代議士もよく研究しておられる。

公共事業については、「入札制度の見直し」を、さらに二人で研究する事にする。独占禁止法があって、あまり地元を優先しすぎると法に触れることもあり、どう公権力を使うかが難しい。帰宅は、午後9時半になってしまった…

土曜は、朝9時からボランティアで神戸市に来て下さる方々をお出迎え。案内を終えた後、またおいでになりたいと思っていただけるよう、丁寧にお見送りする心配りは、欠かせない。売名と誤解されても困るので、ボランティアの内容は控えておきたい。


▲カンボジア団結式
午後4時からは事務所で、7月10日出発の「カンボジア神戸夢小学校」視察団の団結式。団長の萩尾一級設計士は病気を押してのご出席。彼の熱い心に、いつも感動する。
思えば14年前、平成7年1月17日神戸が大震災にみまわれ破壊された時、私と萩尾先生はライオンズクラブで会って「偶然生きている限り、何かをしなければならない」と語りあった。萩尾先生は「私は元気がなくなったら、東南アジアに行くんです。私はあのムンムンとしている雰囲気の中でたくましく生き抜く人々を見て、元気になる」と仰った。私も同感だった。かつての日本もそうだった。生きる事に必死、家族を守る事に必死。その中で、助け合う喜び、家族の絆を深めていった。豊かになった今、そんな大切なものを失ってしまったようだ。二人でカンボジアに飛んで、学校を建てる事にした。アジアで最も貧しく、つい30年前まで殺戮が繰り返され、人権を奪われ、学問を無くした、美しく立派な文化と教養を持ったクメール民族が苦しんでいる。二人で微力を捧げる事にした。
我々は、芸能人でも学者でもない。大きなバックがあるわけでもない。でもライオンズを中心に心が集まって、今や「神戸夢小学校」はアンコールワットのそばにある有名校になった。萩尾先生が土地を選び、決定した。素晴らしい人である。彼から学ぶ事が多い。彼は、病気を押して今回、カンボジアに行く。その心を大切にしたい。