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2013年 08月 19日 月曜日

常州市から上海への新幹線の一等に乗った、8月8日。帰路につく日中友好議員団を乗せた列車は、工業地帯とマンション群の中を走っていた。日本のひかりとまったく同じ型で、車内も同じ。違いを見つけるのが困難だけど、コピーでなく独自開発とおっしゃる。先日書いた「知的所有権も法で守られている」という主張は、はて、いかがなものか。中国も今や、世界第2のお金持ちになったのだし、どうか、国際的なルールにおさまって下さいと願わずにはいられない。

そんな新幹線で… 40分。上海に着き、神戸上海事務所を訪ねて、びっくりした。職員が、実によく働いているのだ。上海で神戸クラブを結成し、すでに300社が加入して、神戸を支援してくれている。そんな上海事務所は、初代所長の奥田総一郎君と張 文芝女史が一社一社回って築き上げたと言って良いだろう。今は、各社の重要な情報交換の場にもなっている。姉妹都市や友好都市は様々だが、もっとも成功した例として、大阪と上海のケースがある。関西一円の企業が大阪上海事務所を介し、中国に進出して行った。行政が、いわゆる窓口になったのである。一方、神戸クラブの場合は、現地で助け合う体制を作ったのだった。

予算がない、人数が足りない、人脈が少ないと、ないないづくし。さぞや、大変なご苦労だったろう。しかし、奥田・張チームは、持ち前の勢いと神戸への思いで、歩んでくれた。そして今年、「やっと神戸クラブの総会に矢田市長が来てくれた」と喜んだのである。

なぜ私がこれをわざわざここに記すかといえば、その苦労を知っているからだ。
奥田君がいつも私に
「張を褒めてやって欲しい。神戸への豪華客船もコンテナも、張さんが船会社を回って営業してくれている。神戸の宝物だ」
と進言してくれていたのは、張さんがくじけそうになったこともあったからだった。

奥田君は、私と同級生。彼は一級建築士でずっと係長だった。なぜか若い頃から仕事一本で、階級を気にしないタイプ。自身が設計した神戸市の建造物の前で、家族と共に記念撮影をするのを生き甲斐にしていた。

退官した後は、要請を受けて神戸上海事務所の初代所長となった。一方、現所長の張さんは神戸大学院を卒業して法学博士を取得する程、賢い上に明るく美しく、中国人と日本人の良さを併せ持った方。そんな二人が礎よろしく力を合わせたのが、神戸上海事務所なのだ。その内装の黄色は、奥田君が向かっていた事務所の内装を綺麗にと、彼女自身、一生懸命にペンキを塗ったのだという。

係長や課長で、或いはヒラで退官される人の中に、いぶし銀のような人がいる。上海の空の下、私は、彼を誇るべき同級生だと、改めて思ったのだった。
写真 上海事務所にて
▲ 黄色い内装の上海事務所を訪ねる。右端に張さん