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2013年 05月 24日 金曜日

昨23日、バレンタイン広場の管理運営について、とある和やかな話し合いの場で、いろいろな意見が出た。役所にも様々な声を届けて下さっているようである。出来るまでは、私も、いろいろな方からお叱りの声を… 頂戴した。「広場にしたら、自転車の無法地帯になる」「ゴミの山になる」「不良少年少女の溜まり場になる」「せっかく便利だったのに、不便になった」…等など。私は、「分かりました。気を付けて対策を、皆で考えていきます。」と言い続けてきた。なぜなら全部、その通りだからである。

民主主義には、時間と費用がかかる。私は、バレンタイン広場を皆で造ることによって、共に学びたかった。行政の失敗は民を永く苦しめ、変更に対する抵抗がある。しかし、それでも、手続きを踏めば変わるということ ─ 私は、心の中で、お叱りをくださった方々に、心の中でつぶやいていた。

じゃあ、昔のように工業高校を置いていた方が良いのか。また、汚い自転車置き場でよかったのか。息子や孫に、そんな御影を残すのがいいのか……
せっかくここまで来た御影を、どう育てるのか。我々の責任ではないのか。人を批判したり、自己の利益を主張するのもいい。でも、自分達の問題として、ゴミを捨てる人、自転車を放置する人、不良の子供達に、我々一人一人が笑顔でお願いしようではないか。

私が、ボランティアの足立さんとできるだけ広場の掃除をしているのを売名と取る人がいても、それでいい。が、「民主主義では、民にも責任がある」と訴えているつもりなのだ。

この広場は、愛のスポット ─ つまり、人間の大切なものを活かす広場であって欲しい。皆で苦労した広場である。
ある老係長が「広場ができてうれしかった。自分は課長にも部長にもなれなかったけど、市民の役に立った」と、お好み焼きを食べながら語ったと聞いた。うれしかった。黒沢 明監督の「生きる」という映画を思い出した。黒沢監督は、50年前に民主主義を、映画で描いていたのである。