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2013年 05月 22日 水曜日

平成25年5月3日は、私の長い議員生活の中でも忘れがたい日となった。議員にしていただいた38年前からずっと想い続けていた事が、実現できたからだ。
阪神電車御影駅南側の広場には駐輪場があって、神戸で最も便利だが、最も汚い駅前だった。かつて、この広場は… ヤシの木に囲まれ、地域の人々のコミュニティー広場として、盆踊り等も行われていた。

当時の宮崎市長の市民による自転車通勤の方針によって、各駅近くに駐輪場を設置するよう指示された。各区の土木場所は工夫を凝らし、駅近くの土地や舗道や高架下を借りて、建設して行った。不幸な事に、仕事が遅れた阪神御影駅は出来上がらず、宮崎市長からの叱責を恐れた東灘土木事務所長は、エイヤーとばかりに、市民の大切なコミュニティーの場に建設。以来、御影の人々は苦しみ悲しみ続けていた。

利用者にとっては良かったが、共に住む御影の人々の38年間は、大変だった。私は色々な場面で移転を訴えたが、行政は変わらない。一旦決まった事は、なかなか変わらない ─ それが行政である、と。いかにも、役所である。それだけに、行政力の行使と政策の立案は慎重でなければならない。又、変更するのは非を認めることでなく、市民の為に変化させることと考えて欲しいと思ったものだ。

かくて、38年の年月が過ぎ、豊かだった神戸市も貧しくなり、ついに、御影工業高校跡地を売りに出した。そのチャンスを生かして、まちづくり協議会を結成。私も、顧問として及ばずながらお手伝いした結果、駅の北側は、47階の御影タワーレジデンスが建ち、だんじり広場を設ける等して、甦った。

時同じくして、皆様のお陰をもって議長に就任した私は、もう一つの懸案を胸にしていた。

常々、御影は近代柔道の父、嘉納治五郎先生の誕生の地である事から、現在の御影公会堂を嘉納治五郎記念館として改造し、又、この南側の広場を嘉納治五郎広場として、世界の柔道愛好家が御影に来てくれるようアピールする構想を市に持ちかけていた。かなりの所まで行って、調査費もついたが、震災で出来なくなってしまった。

議長になって海外視察と公務が増えた、その中に、イタリアのテルニ市に行って神戸の観光大使を任命する公務があり、小柴副市長と同行した。神戸市とは、モロゾフ株式会社が始めたバレンタインチョコレートの発祥の地であり、しかも本社が御影にあったので、御影こそ、と観光の面で友好関係にあった。そこで、私はテルニ市の市長と議長に、御影に聖バレンタイン広場を造って、日本中の愛のメッカとしたい、と提案した。実は、これが中々大変だった。議会で演説もした。素晴らしい歴史のある議会で、その威厳に、歴史の重みを感じた。結果は、「聖バレンタインの聖を使ってはならない。聖をつけるなら、ローマ法王の許しがいる」として、バレンタインは許可が出たのだった。嬉しかった。

一方で、市長や、神父様との話し合いが進み、テルニ市に神戸御影庭園を造る計画も提案された。陰で働いて下さった小柴副市長と松田国際交流推進部部長の努力は、一生、忘れてはならないと思った。

この件を地元の人々に報告した。地元の方々は、何回もまちづくり協議会を開いて、阪神御影まちづくり協議会の槇野会長を中心に、行動を開始してくださった。かくて、苦節2年。色々あったバレンタイン広場がようやく、開設された。

地元のだんじり八基が、お祝いにかけつけた。発祥の地としてご活躍して下さったモロゾフ株式会社は、日本で初めての、チョコレートの形をしたバス停留所を造って下さった。これは、神戸市への最大のプレゼントだった。

─ 私にとって、38年間の積もった想い。2年間も途絶えていたこのブログで、長文とのお叱りを覚悟で書いたのだが、お許しいただきたい。