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2011年 05月 23日 月曜日

下水道部長の熱い心を持って南蒲生下水処理場を後にした我々は、同じく津波で被災した、沿岸に近い消防署を視察した。その消防署は… 仙台市の救急ヘリポートになっている、仙台市若林区消防署荒浜航空分所。平時、市のヘリが2機、県のヘリが1機、駐機するのだが、地震直後、市民に津波が迫っていることを知らせるために、仙台市のヘリは津波の15分前に離陸した。

県のヘリはと聞くと「搭乗員が間に合わず」だったそうだ。仙台市の説明では、給油中に津波にのまれて破壊されたという。視察当日は、その破壊されたヘリは既に片付けられていた。破壊された消防車はまだ並べられており、消防署もことごとく破壊されていて、危機管理のあり方を改めて考えさせられた。
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いざという時に役に立たなかったという意味では、神戸でも同じことが。東灘区深江地区の南で床下浸水があったとき、深江浜にあるポンプ場の鍵が見つからず、ポンプ始動が遅れたのだ。そこで危惧しているのが、深江の高橋川をはじめ魚崎、扇地区の防潮堤の閉鎖の遅れなど。常日頃から、定期的かつ頻繁な点検と整備が必要だと、強く思った。

「小学校の建設予定地に建設できた」と説明を受けた仮設住宅も、視察。震災後2ヶ月経っているというのに、今はまだ、誰も入居していない。阪神淡路大震災では、わずか1ヶ月で入居していた。仕事が遅れている。色々な点で、国の官僚機構が上手く稼動していないことがうかがわれる。

例えば、罹災証明の発行も、まだ全体の20% ─ 政令都市の仙台ですら、そのような状況なのだ。阪神の時は、2ヶ月で約半分以上の罹災証明が出せた。この件は、一見地方行政のように見えるが、実は国からの指示が大きい。国は県を主体に考えるが、政令都市は直接国と交渉すべきなのだ。国の官僚も、その点はよく理解してくれている筈なのだが…。

あらかじめ送っていた靴とスーツを持って避難所を訪ねると、大変喜んでくださった。

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大きな公民館の、段ボールで仕切られた空間。神戸でも見られた風景だ。「阪神の時は、学校や中学校の体育館が避難所になっていて、学校再開時、校長や教師に違う避難所に移ってもらうのに、苦労した」と言うと、仙台ではあまりトラブルもなく移ってくださっているという。地域性もあるのだろうか … しかし、すべてにおいて、阪神の時に比べ遅れている印象がある。これは、被害の大きさだけではないと思う。天災から人災に移っているようにも感じられた。

今回は、さらに原発が重なっている。このまま行くと、いかに辛抱強く従順な市民でも、限界が来るのではないかと心配になっている。

この続きはまた、明日以降