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2011年 05月 21日 土曜日

須磨区選出の安達和彦団長を筆頭に自由民主党神戸市会議員団11人で、5月19日に空路、仙台入り。北区選出の坊やすなが政調会長の綿密な現地との連絡で「絶対に迷惑をかけない」と確認。むこうからはむしろ「来て欲しい」という話だった。機窓から見る仙台空港は… やっと使用できる状況になったとはいえ、周辺は津波で荒れ果てていた。空港ビルも、一階の一部しか使用できない。

米軍と自衛隊が懸命に復旧作業に当たり、4月13日に滑走路が使用できるようになったとはいえ、現在はまだ1日9往復しか飛んでいないため、満席状態での運行が続いている。

かつての空路、神戸-仙台便の回復に加え、さらなる便数を神戸・仙台間にもたらしたいという我々の目的・願いもあったので、今後も、宮城県の関係方面へ、働きかけて行こうと思うが、実は、ある議員が既に、素早く動いていた。その議員、政策議員として諸々精通し、神戸市のために黙々と活躍してくれている。仮に議会から副市長が出せるなら、筆頭に名前が挙がるだろうと思うほどだ。

避難所暮らしの現地では、そろそろ就職活動をしたり仕事に向かうのに、気がつくと靴もワイシャツもネクタイも背広もないというので、安達団長が靴を、私が背広とワイシャツを用意して、送っていた。

仙台に着くと、現地の自民党市議のお迎えをうけ、さらに被災地をご案内くださった。当然だが、テレビで見る以上の風景が、そこにはあった。この街では834人の方が亡くなられ、まだ200人以上の方が行方不明。畑や田んぼが海岸の砂浜のようになっていて、平時なら緑と黄金色の地区に、流木や車が点々と横たわる。崩れた家屋が並ぶその有様に、16年前の神戸を思い出し、涙が溢れてきた。多くの悲しみと悲劇が、この地で発生したのだ。
写真



仙台市に設置している大型テントの視察も、目的の一つだった。我々と同じ神戸市民で、神戸が誇る法人の一社、株式会社ウェイズの渡辺健司社長と社員の皆さんが、東日本大震災のために何かできることはないかと、考えられた。

たまたま、三菱重工がドーム型の大型テントを持っていることから、協力して仙台市にテントを使ってもらいたいということになり、神戸市の危機管理室から仙台市に提案。設置されたのだ。仙台市としてもタイミングが良く、流れ着いたアルバムや残ったランドセル等の残留物を保管し、人々が探せる施設に困っていたそうだ。そこで、被災地の中にある農業公園に、学校の校舎ほどのテントを無償貸与することになったのだ。

株式会社ウェイズの社員さんが仙台に行き、仙台のために奉仕してくださっている。これは現地でも高く評価されていて、我々も見ておきたいと、神戸市のため仙台ために尽くしてくださる姿を誇りと感謝の心で、見学する運びになったのだ。

テントでは、仙台市から災害安全部長の消防監小野清氏と課長2人、計御3方がお迎えくださり、ご説明いただけた。部長から
「今回のテント、神戸市さんからお話しを頂き、飛びついた。これで、多くの仙台市民が探しまわらなくても、ここに来れば情報が得られるし、当局も飛び回らずに、集約できます。人力を出してくださった神戸のウェイズさんにも、感謝申し上げます」
と、ご挨拶くださった。その現場では、株式会社ウェイズの井上国夫顧問が現場指揮を取っておられ、我々に
「このテントは米軍が戦場で兵器などを保管するためのテントで、それ程丈夫です」
といったことを、丁寧に説明くださった。神戸市民として、仙台に尽くしてくださっている、その使命感に感じいって、一同思わず
「ありがとうございます」
とお礼申し上げた。完成は、24〜25日ぐらいになるそうだ。

続きは、また。