到着した掃海艇まきしま・つきしまの2隻を代表して帰還報告に立ったのは、能條将史掃海艇司令。阪神基地隊の山本高英司令に
「地震発生の3月11日すぐに出発して2ヶ月、自分達は現地で力一杯の救援活動をいたしました。現地は大変な状況でありました」と報告する能條掃海艇司令の目には、涙があふれていた。
海に沈んだ遺体は、言葉に表せないほどひどい状況であったそうだ、だが、隊員達は一体一体、丁寧に収容していった ── そんな隊員たちの苦労話を、私は陰ながら聞いていた。きっと能條掃海艇司令も、その光景と隊員達の苦しみを思い浮かべ、涙されたのだろう。
ふと見ると、淡々と語る能條掃海艇司令の言葉に、その苦労をくみ取って、矢野理事長はじめ多くの人々がもらい泣き。私も、その一人だ。マスコミも評論家も、まして政治家からも、自衛隊の苦労は、ボランティアや学者・政治家に比べ、あまりにも報じられていなかった。
ズーフォニックアカデミーの子供達が、「ありがとう」のメッセージが添えられた花を、隊員の皆さんにかわいい手で渡すと、それまで緊張していた隊員たちは、顔が一気にほころんだり、涙腺が緩んだり。
一本ずつ、お酒を持ってきてくださった方も。こうやって、様々な前線での活動で任務を果たす者と、それを支え、或いはねぎらう人々……そんな、誰もに敬意を表したい。心からもう一度、「ありがとう」。