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2011年 05月 07日 土曜日

選挙で約4ヶ月も出ていなかったので申し訳なかった、人と防災未来センター(以下、人防)でのボランティア。その間に東日本大震災があり… 地震・津波・原発の三大災害が起こってしまったから、久しぶりの人防がどう変化しただろうかと、興味があった。

同じ語り部をしている方にお聞きすると、来館者数が増えたそうだ。特に、県外の和歌山・愛知・三重・四国の方々が増えたというが、津波に対しての知識を得ようとしておられるのかも知れない。

人防の中央には、今後予想される東南海・南海地震の垂れ幕がある。津波の予想は、15m。その15mの高さから垂れ下がる幕を見上げると、いかに高いかが良く分かる。

それによると、安政南海地震(1854年12月24日発生)での津波の高さは、8m。昭和南海地震(1944年12月21日)は9mだったとある。垂れ幕を眺めた来館者の方々は、その高さに驚いておられた。垂れ幕は今回の東北地震の前に作られたもの。何だかまるで、今回の地震を予期していたかのようでもある。

来館されるのは、日本人だけではない。韓国・台湾・中国・アメリカ・オーストラリア・マレーシアなど、様々な国や地域の方々が、世界中から来館される。ガイド役も、韓国語・中国語・英語のボランティアがいて、それぞれが立派に、上手に説明されている。

感想やメモを投函するコーナーもある。福島県から来られた31歳の男性は
「原発が恐くて、大阪に避難してきました。何かをしたくても、何もできない。いても立ってもいられないので、この人防にきました。ここで得た知識を持って、東北の地に戻りたい」
と。同じ福島県の32歳の女性は、「大阪に避難してきましたが、こちらの人々が私達のために募金活動をしている姿を見て、涙がこぼれました。今、東北は食料もなく、水道は断水。ガスもなく、復興できるか心配です。ありがとう。命の限り、東北のために頑張ります。3月20日」と記されていた。読んだ私は、16年前を思い出した。

今、「もしあの津波が我が町に来たら」は、特に興味深い。神戸は、そのほとんどが海に面している。東灘区はほぼ海岸線にあり、海上都市六甲アイランド、第2工区、第3工区、第4工区など考えれば、どうなるか調べずにはいられない。

たまたま、先のボランティアの仲間が「安井さんが休んでいる間に、西側2階に津波ハザードマップを拡充して、津波被害想定の表示地域を増やしたりして、内容の充実を図っているよ」と教えて下さったので、早速行ってみた。良く出来たハザードマップの東灘区をクリックすると、防潮堤が作動したり、機能している時としていない時の浸水エリアが表示される。データは、安政の大地震(1854年)の震度8を基準にしている。六甲アイランドは大変危険な状況であり、魚崎南部、御影、深江南部も、危険。「すぐにでも避難しなければならない地区」だった。

公約に、津波に対する防災計画の見直しを掲げたからには、まず、基礎知識を仕入れ、データを集めるなど、更に調査を進めていかねばと感じ、休憩時間に人防の資料センターに行った。職員に尋ねると、実に手早く親切。仕事に向上心が満ちていて、もの静かながら的確だった。

久しぶりの人防ボランティアだったが、良い人々と出会えた。こんな良い人材が、ここにはいる。この頃の市の職員は、自分の分野の仕事の内容でも答えられなかったりするなど、基礎知識のないアルバイト感覚の人がいる ─ それだけに、嬉しかった。いただいた情報を参考に、市民の皆さんの安心安全のため、防災計画を充実すべく、知識を掘り下げて行こう。