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2011年 04月 30日 土曜日

「いつも危機に備える心掛けが大切」と、今、阪神大震災で学習した事を活かしきれていないと感じ、東北大震災と原発事故での政府対応を… 怖いとすら思いながら、16年前の阪神大震災時、海上自衛隊阪神基地隊の司令だった仲摩徹弥氏と、ひととき語り合った。

たまたま、海上自衛隊学校の同窓だった田崎俊作氏の葬儀で神戸に入っておられ、岡本の英語幼稚園ズー・アイデンティティー理事長の矢野奈緒子氏と共に、当選のお祝いに来てくださったのだ。

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仲摩徹弥氏は、阪神大震災当時、発生と同時に出動準備を整え、隊を待機させた。ところが、救出準備は完了しているのに、いつまでたっても出動要請がない。ジリジリしていたところ、やっと知事が陸上自衛隊に要請したのを知らされた。そこで、自分達にも要請があったとして魚崎から艦を出し、破壊された神戸港に入港。海底の状況が分からないため、湾岸戦争の機雷処理に当たっていた世界一の潜水技術を持つ潜水隊を潜らせ、海底の状況が良いところに接岸した。

氏の行動が特に立派だったのは、ここから。自分が率いた自衛官50人を生田警察署に依頼して、懸命な救出を行ったのだ。役人の世界・自衛隊の世界で、自分の兵を他の指揮下に置くような勇気は、出にくい。頭が柔軟な方で、何が大切かを熟知しておられた。

後日、私が独りお礼に基地隊に行ったことを喜んで下さり、二人の間で男同士、深い友情を結んだのだった。その時、司令は「もっと海上自衛隊を使って下さい。艦にはすべて揃っています。風呂も調理室も水も食料もある、完全型救援艦です。しかも、横に並べば大きな救援基地にもなるのです。なぜ、もっと要請して下さらないのですか」と訴えられた。

あんな状況でもなお、自衛隊に対し嫌悪感を持っていた神戸市。それにひきかえ、市民は立派。その声で、陸上自衛隊の活躍を含め、市役所に「自衛隊さんありがとう」と垂れ幕が掲げられたのだった。あの出来事を背景に、私は、本会議場で「神戸市は、自衛隊をもっと身近な存在にしなくてはならない。例えば、今後防災訓練も積極的に合同でするべきだ」と主張してきた。

神戸市はといえば、例えば、機雷除去。神戸沖の建設に係る神戸港の海底での命がけの仕事を自衛隊に依頼しておきながら、お礼の言葉の一つもなかったことすらあった。震災時、自衛隊が、神戸市の各地の公園で野戦風呂を設営した時には、公衆浴場法に引っかかるとして、届け出が必要だと言った市職員がいたという。役人が如何に法を守る立場にあるとはいえ、ここまでくると笑ってしまう。

…… と、まぁ、そんなこんなで、氏との思い出話はつきず、懐かしく、嬉しかった。

氏は「今回の東北大震災に置ける政府対応は、阪神大震災で学習した事を活かしていない」とも。私も、同感。当時、被災地という前線で戦った我々の思いは、たくさんある。私が「チェルノブイリでは防御せずにやったので、30人ぐらいが亡くなったが、自衛隊は違うでしょう。自衛隊員が、放射能の防御をして作業にあたれば良かったのに…自衛隊は腰抜けか」と言うと「国家のために身体を投げ出す覚悟を決めた者に、腰抜けはいません。政府が要求しないからです」と、きっぱり。

「いつも危機に備える心掛けが大切なのですが、いざその時は、自分を無にしなければならない」と仰る氏の言葉は、自分の部下を他人に預けた、その勇気ある行動にも通じているのである。